おはようございます。
自己実現を繋ぐ
心理カウンセラーの井手章紀
(いであきのり)です。
嫌という気持ちはとても大切な気持ちです。
ですが、その気持ちが
どこから芽生えているかは
少し考えてみることをお勧め致します。
例えば同じような言葉を言われて
その言葉が嫌なのか、
それとも言った相手が嫌なのか。
さらに言った相手が嫌な場合も
相手のことがただ、嫌いなのか
それともその相手を見下していて
見下している相手が言った言葉だから
嫌なのかと言うこと。
ただ、嫌なら
人間合う合わないありますから
それはそっと離れるのがベストです。
もし、その相手にしがみつきたい場合は
そこにはご自身の中に
しがみつきたい何かを相手に見ていますから
それについて一度考えてみられてください。
ですが、今回お伝えしたいことは
どちらかと言うと後者の方、
見下した相手だから嫌な場合についてです。
例えばいじられたり、冗談を言われた時
それが同じ言葉であっても、Aさんならいいけど
Bさんはならとても腹が立つみたいなことです。
特にこの先
心が軽い現実を望まれる方であれば
この見下した相手だから嫌だということに
気づかれた場合は、
ご自身と一度
向き合われることをお勧めします。
相手のことを見下しているから
嫌だと言うのは
失礼と言うのも勿論ですが
そもそも自分の目の前に創る現実は
重たい現実になります。
誰かを見下すということは
誰かからは確実に見下される現実を
創りますからね。
互いに見下し、見下される
ドンドン戦いの現実になっていきます。
そもそも見下すというのは
自分の中に見たくない自分がいるから
芽生える気持ちです。
自分自身の否定したいものを
そのまま表現する相手にイライラして
そんな自分は私の中にいないと
言わんばかりに攻撃するのが
見下すという状態です。
それを認め、受け入れていけば
見下す気持ちは無くなっていきます。
正直最初の方は
見たくない自分自身に押しつぶされそうに
なるかもしれませんが
自分を認め、受け入れることを
繰り返していくことで
目の前の現実は
着実に軽くなっていきますよ。
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