おはようございます。

 

自己実現を繋ぐ

心理カウンセラーの井手章紀

(いであきのり)です。

 

 

先日、ふと過去の自分の記事が

読みたくなり、

過去の自分の記事を読んでいました。

 

 

その中で、気になったことがあったので

今日はそのことについて書いていきます。

 

 

 

ホントにただ、一言…

 

 

「何か、重くね?」

 

 

 

 

過去の記事全てがそうではありませんが

何だか全体的に重たい…。

 

自分と向き合う上で重たい記事があるのは

分かるんだけど、それでも何だか重い感じ。

 

 

自分の内面と向き合って

散々苦しいことを書いている割に

 

自分を褒めたり、うまく行ったと感じたことを

書いていないような…

 

 

ひたすら向き合ってハイ終わり、

 

「私こんなにもダメなんです。」って

どこか言っているような…

 

 

 

 

そして、ある重要なことに

気づきました。

 

 

 

「”気づき”を使って

自分自身を攻撃していないか?」

 

 

正直ゾッとしました。

 

 

私自身がちょっとでも

完璧から逸れた考えを抱いた瞬間

 

その考えを晒上げている、そんな印象でした。

 

 

自分自身の最低な感情を

無理矢理引っ張り出して

 

 

「私はこんなにも最低です。

 

こうならないようにみんなも気を付けよう、

 

そのための気づきをお届けします。」

 

今思い出せば、

そんなスタンスが私自身にありました。

 

 

本当に私自身に対して失礼です。

 

 

どんなに気づきを大切にしていても

心の奥底が自分責めなら

 

気づきを自分責めに使ってしまうのは

今はすぐに理解できます。

 

 

気づきは確かに大切です。

 

 

ただ、それが

 

本当に自分を慈しんだ気づきなのかは

 

それとも

偏った考えの元の

自分を攻撃するための気づきなのかは

 

精査するニュートラルな視点が

大切だとしみじみ感じました。

 

 

 

しかし当時の

私にとってこれらの気づきは

とても大切なものでした。

 

 

そして、今の私にとっても

大切なもの、それが揺らぐことはありません。

 

 

今までの気づきを無かったことにしたり

 

自分を攻撃するためのものに使う気も

微塵もありません。

 

 

それでは同じことを

繰り返してしまいますからね。

 

 

ただ

自分責めをし続けていれば

 

自分責めをするための気づきが

増えてくるのは事実です。

 

 

だから、もし同じような立場の方が

今いらっしゃるのなら

 

そのような状況を憂いたり

 

「やっぱり自分なんて。」と

 

自責に苛まれる必要は全くありません。

 

 

それも大切な気づきですし

 

それが必要だったと思う時が

必ず来ます。

 

 

私自身が本当に今、それを感じています。

 

 

自分と向き合うことは大切です。

 

 

その時に苦しい感情が出ることも

時には必要です。

 

 

ただ、それでハイ終わり。では

あまりにも自分を蔑ろにしています。

 

 

向き合うだけ向き合わせて

そんな頑張っている自分を褒めたり、

喜んだり、慈しまないことは

 

自分を責めていないと

口では言っても

 

やっていることは自分責めです。

 



 

自分に優しくしてください。

 

 

散々自分を責めてきた私が言います。

 

 

23という年齢ですが、

自分責めをしてきた数は本当に数えきれません。

 

 

自分を責めないで、とは言いません。

 

 

自分を責めたい時もあります。

 

 

ただ、心のどこかに

自分への優しさを忘れないでください。

 

 

そして、散々向き合ったり、

自分を責めてしまった後は

 

そこまで頑張った自分を

慈しまれることをお勧めします。

 

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