こんにちは。

 

自己実現を繋ぐ

心理カウンセラーの井手章紀

(いであきのり)です。



昨日はコンステレーションの

セミナーでした。


お越しいただいた皆様

ありがとうございます。



さて、昨日

私の中でも大きな気づきが

ありました。



(反射やめてくれー)


最近、私自身が
何でも「嫌な記憶」として
残そうとしていました。


「嫌な記憶」として
残すと何の意味があるの?
って思われるかもしれません。


「嫌な記憶」にしておくことで
その記憶を乗り越えることができます。


これだけ聞くと
何が問題?ですよね。


これ自体が問題というより
正確にはこれを「繰り返す」ことに
問題があります。


嫌な記憶→乗り越える
嫌な記憶→乗り越える…


乗り越えた時は
達成感が生まれますが、


この人は果たして
幸せでしょうか?


いつも嫌な記憶を用意しておく
必要があるので

何だか疲労感や生き辛さを
感じてしまいます。


そして私自身が最近そうでした。


最近向き合う必要がある
記憶が思い当たり

いつも「向き合わねば、
向き合わねば」と

思い苦しみました。


そんな渦中の中で
昨日のワークショップは
本当に大きな気付きでした。


本当はその向き合う必要のある記憶は

実は愛に溢れていたものなのに
無意識に敵扱いして

乗り越えるもの、戦うもの
なってしまっていました。


本当に反省です。


人は無意識に
何でも悪いところを見がちです。


確かに嫌な部分は
あったかもしれない。


嫌な部分があったからこそ
得られることも勿論ある。


ただ、それを使って

自分で自分を縛る必要はないよね。


嫌な記憶と戦う必要はないよね。


敵とした記憶は
敵として振る舞います。


でも、その記憶を
よくよく振り返ると
「愛に溢れていた。」


それを見ずに
嫌なところばかりをフォーカスしていると

どんなことも
嫌なところしか記憶には残りません。


だから何事もバランスが大事。


嫌なことだからこそ
気づけることも
勿論あるかもしれない。

でもその中にあった
本当の愛までも
嫌なことにしておくと苦しいよ。

どんな出来事も
その中にある

本当の愛に気づけるかが
人生を変えるために必要なこと。


当たり前だけど
いつの間にか抜けてたと
自分を見つめ直しました。


読んでくださって下さる皆様も
私の記事で

何か新たな気づきを
得ていただけると幸いです。


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ここまで読んでいただきありがとうございます。