俺が言うラブコメクソアニメには「愛がない」

「例」五等分の花嫁

好感度ポイント

ヒロイン→主人公=面倒毎に付き合ってくれた感謝+過去のちょいとした後付け好感

主人公→ヒロイン=大切な事に気が付かせてくれた+好意を貰っているから

という構図なのだが、大前提として「面倒毎に付き合ってくれたから相手の中身を見ましょう」にはならない。

ましてや「仕事とプライベートを混合してる時点で論外」なのだが・・・。それは置いておいて、

この「面倒毎に付き合ってくれた」の中身を五つ子達は「自分に向き合ってくれたから」という理由に受け取っているのだが、主人公の目論見は

彼女達が「悩んでるから解消してあげたい。助けてあげたい」のではなく、あくまでも「自分の行動の妨げにならない様に悩みを解決してる」だけだ

まずこの時点で愛より利益を重視をしている。例えば、これが彼女の達の悩みやマイナスな思考が「勉強の妨げにならない」場合はどうだろうか?

悩んではいるが、成績に直結しない程の「悩み」の場合。確実に風太郎は「スルーしている」即ち、この時点で「愛なんか欠片もない」

優しさもなけりゃ、恋愛は無駄思考で本人が言う「人生のピークを過ごしてる愚か者」だろう。

だが、ストーリーの進行上で「風太郎が五つ子に家庭教師をする」という事が決まっている以上、「関りを保つ」と言う事だけの理由で「家庭教師」

というポジションを生まれさせている。でなければ、あの時点で風太郎と姉妹を繋げる糸はないからである。「もうこの時点で浅いんだが」

逆を言えば風太郎自身も最初の頃は「姉妹達に愛もなけりゃ好感もない」あるのは、カネカネカネである。

だが、そのカネを稼ぐ中で立ちふさがる「姉妹達のメンタル面の雑魚さだ」個々に解決しなけりゃ成績は上がらず、どうしようもない。

ではどうするのか・・・。答えは簡単で「姉妹達のメンタルをどうにかする」だ。だが、ここで「普通ならあり得ない事が起きる」

それは「風太郎は面倒見が良い」「風太郎は優しい」と言う思い込みを姉妹達が誤解したところだ。実際の所は「全く違う」

ココが最大の「んなわけねえだろ」ポイントだ。少なくとも、この導入方法で好感度大幅プラスになるというのなら「誰でも好感度を得れる事が可能」なのだ。

主人公が何か特別な力を持っていた。主人公には誰かよりも優れた特性があったから。主人公は誰かのために努力をした。のではなく。

「利益を優先した結果がたまたま運よくメンタル雑魚だった女が変な解釈でプラスに受け取ってくれた」からだ。そもそも「家庭教師」

は勉強を教えてくれるだけで、「メンタルをサポートしてくれない」と考えてるからこそ「風太郎がメンタルを回復させてくれた」=面倒見の良い

と勘違いしてるが、そもそも同年代に家庭教師をさせてる時点で「金銭が発生してるだけの同級生の交流」である。

逆に言えば、そうしないと「風太郎と言う人間は舞台上」に上がってこないので「金銭で釣っている」という訳だ。

この時点でヒロインである。「姉妹達のメンタル雑魚から来る勝手な妄想」が始まったわけだ。

そして「過去がどうたらこうたら」という理由で、無理矢理過去の接点を付け加えたり、思い込みの激しい風太郎上げを繰り返して

略奪戦争の様な「不毛な争い」まで行う始末。結局の所、この姉妹達は「勝手に良いイメージを作り上げて、それに浸って酔った挙句争い始める」

という。何とも男側にとってやりやすいこの上ない「状況と化す」やりやすいと言ったのは、ここまで風太郎のイメージが

「良い方面に好感度が向きすぎている」ので、多少の粗とか悪い要素とかを今までの経緯から「この人の本質は私達の好きな風太郎だからいいじゃん」って思いこめる状況だからだ。

決してマイナス点がプラス面を揺らがせることは一切にない。恋愛ゲームで言う所の「確定ルート」に入ったのも同じだ。

これがリアル恋愛になると「マイナス」がプラス面を超えてしまったから別れよう。という考えに至るだろう。例えば「彼女が浮気をしている」それはマイナスな点だ。だが、出会った時や浮気をされるまで「自分の大好きな彼だから」と言う理由で別れずに居る。

そんなことは実際に少ないだろう。あったとしても常人の発想ではない。それをやり続けているのがこういう中身がないクソアニメだ。

話を戻すと、風太郎の本質を勝手に「作り上げた姉妹達が勝手に争い始める」そしてここから生まれるのが、また「都合」だったりする。

もちろん作品だから「ご都合」という概念は必ずある。主人公補正とかそう言ったものだが、勘違いしないでほしいのは「都合の良い得する」事しか「ご都合」

が発生しない場合だ。主人公が目的を頑張った結果「必ず目的は達成されるだろう」というのは「主人公が努力をした」という事に対して注目するべきである

だからこそ「ご都合になったとしても主人公が努力をしたから良い」になると個人的に思って居る。

では「風太郎も努力したジャン?」と言われるかもしれないが、コイツの努力の大本は「姉妹達のためではなくあくまでも自分の為の行動」だ。

努力したから「ご都合に大金を得て安泰」ではなく「何故か、女を落としてしまう」という訳の分からん状況だ。〔いやそうはならんやろ。なっとるやろがい!〕

と言っても、その努力は「当たり前体操」レベルの話だったりするので、そもそも本当に努力したのかすらも怪しいところではある。

はい・・・。この時点で「姉妹達」が風太郎に対する好感度はMax値だったりする。その「マックス値を五つ子同士が理解しあってるからこそ、五つ子という立場から来る理由で争い始める」

片方はウスノロで、もう片方は切羽詰まって余裕がない女共だ。だったならどういう状況に陥るのか答えは簡単。

「そりゃ女共が勝手に解決しちゃうよね~~」である。序盤からお察しの人には今更の話だが、この五等分の花嫁という作品は「姉妹」がメインであるが故に。

「姉妹」達は何かをするきっかけ作りに必死なのだ。つまり、主人公をひっかける釣り針を毎度毎度仕込んでいる感じ。〔家庭教師もそれ〕

だからこそ「仕込みをするほどの相手じゃねえだろうがよ」に当てはまらないかな?彼女たちの良さに気が付いて「好きだから」優しくしたり

彼女達を応援するために「何かをする」男だったならば「釣る価値」も出てくるだろう。では実際の所どうだろうか。

風太郎という男は「釣る必要性があるほどの男なのか?」答えは人によって変わるだろうが、はっきり言う「ねえよ」

理由はコイツ以上に「良い男」は探せば沸くほどいるからである。「そのクズ男よりいい男居るって!」って言う発言と同じだ。

だからこそ「結婚」という縛りで男側が女側を繋ぎとめる鎖を撃ち込まなければ「良い男に取られる可能性が高い」故に「高校時代に結婚の催促をさせる」

それこそ、主人公である「風太郎」の良さが全くない証拠。

そして、好感度が「マックス値」の姉妹達の事を見ていた「風太郎」は自分の事を考えさせられる。これが「遅すぎるんだよ」になるわけ。

人に好感度を持って貰ってから成長するのは「相手が居てこそ成り立つ」わけで、相手が居なけりゃ「成長できない男が、良い男なわけねえだろ」

勿論、成長するだけましだという声はあるだろうが、「争ってまで手に入れる価値はあるだろうか」と聞かれたらどうだろう。「あるわけねえだろ」

じゃあこの後は、恋愛意識ではなく「仕事上の立場で思考してた男」が急に彼女たちの好意を受けたことにより、考えを変えて「恋愛してもいいやんけ」

「恋愛ダメって言ってた俺は硬かったわ」になった。それって「好意を貰ってから考えを改めただけ」の話で「風太郎」自身が何かに立ち向かったわけでも

考えを変えさせるほどの体験を自分で行動して受け容れたのではなく、「好かれたから」と言う理由だけで考えを変えた情けない男だ。それを聞こえの良いように

「過去の自分は頭が固かったのを彼女たちのおかげで教えられた」である。

ではその後はどうなのか。

「姉妹達がどうやって風太郎とENDに向かうのか」そこを掘っていけば五等分の花嫁は終了である。

風太郎という「恋愛」から遠い存在である存在を「恋愛に近づけるために」わざわざ風太郎を担ぎ上げた結果のストーリー。そこに過去であったという

後付け設定で無理やり好感度を確定化させる。

「姉妹達がどうやって風太郎とENDに向かうのか」これが現在の五等分の花嫁のメイン軸だろう〔アニメ化〕

本来のストーリーは「四葉END」で終了するはずだった。それは「四葉」自体が自らの失敗を悔いて「頭やべえキャラ」から「耐久キャラにジョブチェンジ」したからだろう。

そこまで耐えたのなら「幸せになってええんやで」=四葉END〔完〕である。

さて、これが原作終了してからアニメの場合だったならば「四葉END」メインで進み、アニオリで他の姉妹ENDを作るだとかできるが

「原作の途中」でアニメ化したもんだから、四葉以外の姉妹にも人気が出る。では何が起きるのか。「四葉ENDは夢落ちで、それぞれのEND作ればよくね?」

になる。だからと言って、漫画は「四葉END」と決めている以上漫画は「四葉END」を採用した。でも他のENDもありますよー!と言わんばかりに「夢落ち」「こういう未来もあった」

になったという訳だ。で、今回発表された新婚旅行編だが、お分かりの通り「各EDに繋がる分岐点」とでも思えばいい。

この新婚旅行編を得て「原作通りに四葉と結婚」のルートも通れるし、一花ENDにも通れるし、全員が「浮気」せずとも結婚できるという

五つ子ならぬ「1舐めで五度楽しめる五等分の花嫁ならではの5花嫁コンテンツ」である。

これも全て「風太郎の為に」右往左往しまくってできた「彼女達五つ子の成果。努力とも言える」

拍手と同時に中指が出てくるのが分かるだろうか・・・?

いや、これって「風太郎」である必要なくない・・・?と思わないだろうか。

そうです。「風太郎じゃなくていいです」そこんところに糞要素が成り立っていると言っても過言ではない。思えば序盤から「風太郎」じゃなくてよくない~マジウケるんですけど?

が漂っているのだ。だが、そんな匂いすらも嗅げない程、姉妹達の嗅覚はおかしくなっており、ズルズルと突き進み「こういう風な頭のおかしい展開になった」

確かに、五つ子は「人によっては可愛い」と感じるだろう。そこは否定しない。奪い合う構図も男側からしたら「奪い合われてるからいい気分セブンイレブン」なわけで。「風太郎羨ましい」

等と言った発言も聞けるのは頷ける。確かに俺も羨ましいと非常に思いますが、恐らく通常の人とは「羨ましがる点が違う」

俺が風太郎に対して羨ましいと思う点が「良いように解釈されただけで、何をなそうが良い点に落ち着く都合の良い惚れ方をしていただいている」

所がとても羨ましい。一度「ぐさりと刺さった矛」が何もせずとも獲物を縛り付けているので、俺自身が矛を調整しなくても良い。

こんなぬるま湯な世界でぬくぬくできる恋愛できるのならば「俺はもうハーレム王で女を抱きまくっております」

でもそれって女たちが「良いように解釈してるからこそ」出来ている世界なわけで、姉妹達が「あれ?そう言えば風太郎、カネ目的で近づいてきたんじゃね?」

って風太郎の様に過去の自分を客観的に見始めたら?「私たちのためじゃ無くて金のためじゃね?」とでも理解したら、序盤の好感度が

まるで、「ドミノを作っていて、最初の方を倒されて、全てが崩れていくドミノ倒し」の様に。

まるで」ジェンガ―の一番下の部分が崩壊した」かのように「関係は終わります^^」

そりゃそうですよね「風太郎」の良いところは姉妹達が勝手に脚色を加え続けただけの薄っぺらい「妄想の産物」なんですから。

実際の所は「自分が良い境遇にならないと過去の自分を見ようとしない」頭の弱い底辺が上杉風太郎という「人間」です。

それでも「今が良いなら過去の下りがどうたらこうたらされても問題ないよね!セーフセーフ」と言って未だに関係を維持するのが五等分の花嫁でしょう

そんな中身の無い本作をカモフラージュするかの如く「実力のある声優でごまかす」アニメ。

声優さんの素晴らしい演技で「中身の薄いストーリー」をごまかせるほどの「姉妹」達の輝き具合。太陽が影を照らしまくった結果

信者は「影」を良いように捉え始める。その影をあぶりだしてるのが俺です^^

だから大抵の信者の感想は「五つ子がかわいいです」「五つ子の風太郎に対する想いが良いです」である。

「そりゃ良いだろうなぁ!!だって良いところしか頭の中で考えてねえじゃん!」でもその「良いところに行くまでの過程はどうなんだよ!」です


「上杉風太郎の立場なら君ならどうおもう!?」

さっきも言いましたが、「適度に頑張って一花~五月を抱けるのならば最高だね~」です。

自分に置き換えて楽しむというのならば「これほどアダルト〔AV」でシコル内容もないでしょう」

でも俺はラブコメを感じに来たわけで、中身の無い本作でメスを見ながらシコったり、主人公を自分に重ねて抜く様なオナリストでもありません。

「じゃあどうしたら良くなるの!?」と気になる方が居るでしょう。答えは「最初からやり直せ」である。「出来なければ、これで良いんじゃねえのキモイ阿保共向けの抜き作品」で

に落ち着きました。でもこれがラブコメとして最高!と言ってる奴は「正真正銘のバカです^^」

こういうアニメが存在しても良いです。「クソアニメ」の括りに入りますが、消え失せろ!とまでは本気で思いません。だからと言って「ラブコメの中で最高峰」って言ってる奴は

救いようのないバカ者です^^見る目が無いので「アニオタ」名乗らないでくださーい^^

「二つ目のどうしたらよくなるのか」

良くなる方法は、はっきり言って序盤を何とかしろよですが、これからどうしたら「五等分の花嫁」は良くなるのか。それは簡単に思いつきます。

皆さん未来に目を向けましょう。ということで、いっそのこと「風太郎」ではなくあなたを「五等分の花嫁の主人公」にすればいいと思います^q^

????????????????????????????????????????

五等分の花嫁が好きな頭が回ってない人たちはそう感じるでしょう。

ストーリー面。ではもう期待できないクソ原作ですが「姉妹」達の魅力だけで食っていけるだけの力があります。

つまりVRでとっとと「俺達が五つ子を堕とさせろやボケ」です^^

作中でも「風太郎じゃなくていいムーブ」が構築されているので、とっとと中身の無いクソ原作とアニメを終わらして「メスで食っていける作品」を作ればいいと思いますね^^

愛しのあやねる四葉から、〔貴方の名前さん〕!大好きですよ・・・!と言われたいでしょ?

あ、俺は別の神ラブコメアニメで満たされているので結構でうぃーすwww


最初の議題に戻ります。上の文を見て「愛があると思いますか?」

俺の中の優しさが、他人にとっての優しさとかけ離れております。

俺の中の優しさと言うのは「自分にとって圧倒的非利益しかない事でも相手の為に動ける人間」です。

例えば、悩みを聞いてあげるのを優しさと言うのならば「投稿者の俺は確実に優しいです」

俺にとって「悩みを聞く」のは「優しさに当てはまらない」ではどこからが優しさなのか

「悩みを聞く」だけではなく「悩みを聞いたうえでその人の為にできるコトを模索して一緒に考えて解決する」

そこまでが「優しい人です」

配信環境で言うと「コメントをしてくれる」が優しい。そんなわけねえだろです。

たまに、ずっとコメントしてくれて「感謝します」と言われたことがありますが「自分が話したくて居る」わけで

「感謝する所ではない」と考えている。俺にとって「それは当たり前の話」だ。

だから、五等分の花嫁で「風太郎」が感謝されてる所は「俺にとって当たり前にやる行為だろ」に当てはまるわけですね

それを「風太郎」と言う人間の本質を見ずに、自らの匙加減で良いように風太郎を美化する様なラブコメがクソと言っています^q^

はっきり言います。五等分の花嫁の内容で、五つ子を堕とせ。と言われたら余裕で堕とせる自信しかありませんね。

そりゃそうですよ。序盤にクソムーブかまして、過去の補正あれば行ける程度の環境なら俺だけと言わず、ほとんどの方が堕とせるでしょう。

「俺が凄いんだぞ!」と言ってるのではなく、「俺も堕とせるけど君たちも堕とせるよ」と言えるほどイージーな世界って事です。

そりゃ、陰キャが求めるぬるま湯の茶番世界ですから、難易度は低いのも当然ですね


だから五等分の花嫁はラブコメとしてド低辺です^^