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アニメ批評

日本のアニメを考えます。

 現在の日本の漫画家の中で、強烈な画風といえば、荒木飛呂彦とその代表作『ジョジョの奇妙な冒険』であるという点では、殆どの人が異論がないでしょう。
 いわゆる「ジョジョ立ち」といったポーズに見られるように、そして、荒木飛呂彦が語っているように、ルネッサンス期の彫刻芸術に深い影響を受けています。
 イタリア彫刻といえば、私なぞはローマのボルゲーゼ美術館、それにクイリナーレ教会を思い起こします。ボルゲーゼ美術館にはルネサンス期の有名な彫刻家ベルニーニによるダビデ像などで有名ですが、イタリアは絵画の国であると同時に彫刻の国であることが深く納得できます。
http://www.galleriaborghese.it/borghese/en/edavid.htm
 クイリナーレ教会は、正式名称をサンタンドレア・アル・クイリナーレ聖堂(教会)というのですが、奥行きのない土地に起てられたために、内部は窮屈な楕円形になっています。それにもかかわらず、各所に配されたやはりベルニーニの彫刻は見るものを圧倒します。
http://4travel.jp/traveler/yurico2010/album/10528048/
 これらをごらんになっていかが思われるでしょうか。
 私の率直な感想は、ジョジョはルネサンスの継承者にして、そのルネッサンス自身も突き抜けた存在であるというのものです。グラフィックにおける類似性は当然としても、ジョナサン・ジョースター、ジョセフ・ジョースター、空条承太郎、それに東方仗助やジョルノ・ジョバァーナなどといった多彩なその登場人物が繰り広げる物語は、中世キリスト教世界を突き抜けたルネサンス芸術をさらに突き抜けたところにあるところにあります。ルーブル美術館で展示されることがあるのも、ある意味当然といえるでしょう。
 昨日のIKEAのエントリーでも述べたのですが、イタリア芸術のような”濃い”世界を知ってしまうと、北欧系の淡泊なデザインには魅力を感じなくなってしまいます。北欧系のデザインがいいという人は、一度やはりミラノでも訪れてみるのがよいでしょう。ちょっと街の中をウインドー・ショッピングをしてみれば、そして周囲の人の身なりを見れば、センスの良さとはどういうことかが理解できると思います。
 いずれにせよ、日本の漫画が、イタリア・ルネッサンスのさらに先を進むということであれば、これはこれですばらしいことなのではないでしょうか。

 連休中は、神戸の方にドライブに行きました。隠された目的は、「Fate/Zero」の中に出てくる赤い大きな鉄橋を久しぶりに見てみたい、というものでした(笑)。Fateな気分にどっぷりつかって気持ちが良かったです。

 そこまでは予定通りだったのですが、それからは残念ながらがっかりの連続でした。

 まず、中華街が、立ち食いの店が増えすぎで、雰囲気がぶちこわしでした。そして入った店も料理がまずく・・・。前に言った店に行けば良かったと後悔しました。

 しかし、なにが一番残念だったかというと、タイトルにも有るとおりIKEA訪問でした。それが、もうなんというか、今後の日本の未来をかいま見たような気がして暗くなりました。

 一言で言って、IKEAで売られていたものは、基本的なデザインはスウェーデンのものを踏襲してはいるものの、そのほとんどが中国製の安価な商品がほとんどでした。中には、スロバキア製、もしくはインド製の製品も見られましたが、世界中でスウェーデン的なデザインの商品を安くで作らせて安くで売るというのが基本的なビジネスモデルでした。

 本当に多くのお客さんであふれていたのですが、はて、これで何かほしいものがあるかといえば、何もないのです。というか、ある種の既視感があったといった方が正確かもしれません。今では日本の津々浦々に見られる百円ショップとあまりに似通っていたのです。

 正直言って、初めて百円ショップに行ったときの方が精神的な高揚感があったような気がします。デザインがそこそこ統一されているとはいえ、やはり品物自身は百円ショップ、もしくは近所のホームセンターとあまり代わり映えがしないのです。

 一言で言って、IKEAとは無個性、没個性の固まりでした。たとえば、たとえ中国製であってもパナソニックの家電であれば、その品質やブランドを期待して、買ってしまうでしょう。そこには作り手の精神というか気持ちが十分に感じられるからです。しかし、IKEAの家具や調度に、そうした雰囲気を感じることができるかというと疑問です。まあ、さして期待して入った店ではありませんが、わざわざ訪れるほどの店では有りませんでした。

 没個性なものは、我々の想像を超えて、急速に飽きられるものです。

 とはいえ、このIKEAの残念な感じは、逆説的に、今後の有るべきマーケティングの方向性を指し示しているとも思うのです。それは、製品を通じて作り手の気持ちをどれほど伝えるかということです。作り手の清純な気持ち、それをいかにして相手に伝えるかこそが問われなければなりません。

 これを「心のマーケティング」などというと、やはり強烈な違和感を感じます。相手の気持ちをこちらが利用する、というのではないのです。相手を信じて、相手にこちらの気持ちを伝える、そうしたものでなければなりません。そして、必然的に、自分のオリジナリティーに準拠したものでなければならないはずです。

 そうした商品の一つが日本のアニメな訳で、私たちの日常でも「相手に何かを届けたい」という気持ちだけは忘れてはいけないと、改めて考えた次第です。

 

 

 いえいえ、物語の不思議さにつられて連続してみています(笑)。
 この作品を見ています、と告白するだけで何か気恥ずかしく感じるのは気のせいでしょうか(笑)。
 話の内容を、かいつまんで言えば、椿君という主人公が卜部さんという女の子とつきあうのですが、そのつきあい方が、毎日卜部さんの「つば」をなめさせてもらうというものなのです。椿君は「つば」をなめさせてもらうと、その夜にいろいろな夢を見たり・・・というのが、この話の粗筋です。
 興味深いのは「つば」をなめさせてもらう際に、椿君と卜部さんの間にある種の感覚の共有が生まれているということでしょう。基本的には、椿君は毎日卜部さんと一緒に下校する際に「つば」をなめさせてもらうだけの関係なので、よく言えば「健全な」、別の言い方をすれば「抑制された」関係であると言ってもよいでしょう。
 この作品にはいくつかテーマがあると思うのです。それは、高校生の恋愛と、その妄想。そしてその両者を媒介している「つば」に代表されるフェティシズムです。
 フェティシズムにはたんに「好み」という意味もありますが、基本的には「もの」への執着といえるでしょう。この場合、卜部さんの方が「つば」もしくは「つば」を媒介した感覚の交流に執着しており、女性の方がフェチという興味深い構成になっています。
 毎日、「つば」をなめさせてもらうというのが基本の枠組みである限り、椿君にとって、そしておそらくは視聴者にとっても、やきもきする展開が当分続くのでしょうが、結局のところ、卜部さんの椿君に対する気持ちが軸になるのでしょう。椿君のお年頃の妄想もそれなりにおもしろいのですが、常識的に考えれば非常にガードの堅い卜部さんがどのように椿君に心を開いていくのか、それが楽しみな作品です。