アニメ批評 -21ページ目

アニメ批評

日本のアニメを考えます。

 気がついたら、もう一週間。宿題に追われる小学生のような気分です(笑)。

 
 聖杯戦争の方はもう佳境を迎えようとしていますが、今回は衛宮切嗣の子供時代の回想でした。
 まず、本筋とは別に、最初に注目すべきなのは、映像の美しさです。最近は美しい映像のアニメが増加傾向にありますが、それでも、今回のFate/Zeroには力がこもっている徒断言してもよいでしょう。すばらしい描写で、切嗣の人生の悲劇性を遺憾なく浮き彫りにしています。
 それでは、本題に戻りましょう。
 魔術研究を続ける父とともに南国の小島で平和な生活を送っていた切嗣。シャーレイという少女が父の助手を務めていました。父の研究は、生命の不死でした。父は、南国の白い花を永遠に咲かせる技術を完成させていました。
 シャーレイは切嗣に問いかけます。「ケリー(切嗣のこと)はさ、どんな大人になりたいの?」「えっ」「お父さんの仕事を引き継いだら、どんな風にそれを使ってみたい?世界を変える力だよ、いつか君が手に入れるのは。そう、世界を変える。君ならできる。私が保証する。」「それは、そんなの内緒だよ。」「ふうん、じゃあ大人になったケリーが何をするのか、あたしにこの目で見届けさせてよ。それまでずっと君の隣にいるから。いい?」
 このシャーレイの切嗣への問いかけは、実に無邪気なものです。と同時に、シャーレイの切嗣への淡い愛情も感じられます。
 「世界を変える力」、この言葉の持つネガティブな意味を切嗣はまだ知りませんでした。
 ある日、シャーレイがこの魔法を自分に使ってしまいます。これは切嗣の父の研究の意義を世に知らしめようとしたのです。しかし、シャーレイは吸血衝動を抑えられない屍徒になってしまいます。シャーレイは切嗣に「殺して、いまならまだ間に合うから。押さえきれなくなる前に、早く!」と嘆願します。
 淡い慕情の対象であった女性を、そう簡単に殺せるわけではありません。しかし、屍徒にかみつかれた人間もまた屍徒になってしまい、村中が屍徒であふれることになります。
 混乱を極める村に、聖堂教会の代行者達たちが乱入します。それは屍徒を始末するためでした。そこに、魔術教会の魔術師たちが乱入するのです。神に背いた罰当たりは皆殺しにしてよいと信じて疑わない聖堂教会の代行者達。彼らは、血を吸われているか否かに関わりなく、人間たちを皆殺しにしていきます。他方、魔術教会の目的は、屍徒を生み出したのが誰なのか、その秘密を独り占めしようすることでした。その結果、事情を知っていそうな人間はやはり皆殺しということになります。
 この混乱の中で、ナタリアという魔術教会に協力するフリーランスの魔術師に助けられます。彼女の目的は、死徒を造り出した封印指定の魔術師を追跡することでした。そして、ナタリアが探していた魔術師こそ、切嗣の父だったのです。
 ここからが、意外な展開でした。ナタリアに自分が父を殺すと宣言し、実際に殺してしまうのです。
 切嗣はなぜ父親を殺したのでしょうか。ナタリアとともに脱出する際に、切嗣はこう述べています。「この人は、また違う場所で死徒の研究を続ける。」それに対して、ナタリアは「そいつは、子供が親を殺す理由としちゃあ下の下だよ。」と答えます。これに切嗣は「あんた、いいひとだな」と答えるのですが、何度考えても考えさせられる問答です。
 魔術の影響によって、多くの人が死んだ。そして、それは父親の研究がきっかけとなっている。自分が好きだったシャーレイも死んでしまった。ここでまだ子供である切嗣が、容赦なく、確信を持って父親を殺せるのは、これだけの理由なのでしょうか。個人的には、どうにもうまく理解できません。
 ただ、切嗣の悲劇は、自ら自分の父親に手をかけるほど魔術を憎んでいたにもかかわらず、自分が大人になると、魔術師を殺すために、今度はほかの人名が失われることも全く躊躇しなくなる点です。父親と魔術を憎むばかりに、結局は父親にそっくりになってしまった。何のための父親殺しだったのか。その問題が、後に切嗣の心の中で芽を吹くのだと思います。
 それにしても、噂に違わぬ重い回でした。

 

 しろくまカフェ第6話については、あらためて言及する気力が失せてしまいました。おなかがよじれて、いまでも死にそうです。

 ついに♫、ルルーシュが再び現れたのですから・・・・ドリームパンダとして。

本編では始まって3分40秒ぐらいであの「お声」を耳にすることができます。 それに輪をかけたのがハード・ゲイ・パンダの登場でした。

今日はこれで笑いつづけて一日を終わりそうです(笑)。
 昨日は、パソコンがウイルスの侵入にあい、OSのセットアップで一日かかってしまいました。というわけで、今日は脊髄反射的エントリーを。
 今回の「坂道のアポロン」は、西見君の父親が久しぶりに家に帰ってきて、西見君は千太郎と一緒に東京に行き、母親に会うというお話でした。
 東京から佐世保に帰る時に、母親にクリス・コナーの「バードランドの子守歌」のアルバムを渡し、今度会う時には歌ってほしいとお願いするのです。
 お話は、東京で母親に会った西見君も吹っ切れて・・・というわけなのですが、私が突っ込みたいのは、「えー?クリス・コナーなんですか?」という点です。
 まあ、本当にどうでもいいんですが(笑)、私にとって「子守唄」といえば、やはりSarah Vaughan with Clifford Brown しかないですね。というか、クリフォードブラウンが素晴らしすぎます。白熱した演奏家らにじみ出る人懐っこさ、それでいてパワフルで白熱した演奏にはしびれたものです。それでも、サラーボーンのような実力派と共演した場合には、ひたすらわきに回って小気味のよい演奏に徹する、とまあ、演奏家としては非常にすぐれた人でした。善良な人は早く亡くなるといいますが、クリフォードブラウンも、56年にはなくなっています。どちらかといえば、マイルス・デイビスよりは好きなもので、かえすがえす彼の死は残念でした。うーん、ひさしぶりに聞き返してみましょうか。