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アニメ批評

日本のアニメを考えます。

 昔から天の邪鬼で、ビートルズはあまり聴きません。また、ローリング・ストーンズも聞きません。聞くのはエアロ・スミスからです。ディープ・パープルも聞きましたし、レッド・ツェッペリンは今でもたまに聞きます。こう並べてみると、時代のNo.1への拒否感が強いのかもしれません。いや、やっぱり天の邪鬼なんですね(笑)。
 ですから、少年誌も基本的には読みませんし(というか最近は漫画もほとんど読みませんが)、特にジャンプには共感できないと小学生の頃から感じてきました。その理由は、未だによくわかりません。
 今日は久しぶりに時間があったので、何とはなしに、「トリコ」と「ワン・ピース」を続けてみていました。
 トリコはともかく、「ワン・ピース」をみていると、なにかいらいらしてくるのです。なにかどうしようもなくつまらないという気持ちが心の中からわいてきて止めようがありませんでした。
 どこがおもしろいのかわからないですね。ヨルムンガンドでもFate/Zeroでも観ているときは、ほとんど一瞬のように感じます。見終わった後に「ああ、終わりなんだ」と感じておしまいです。そこには、もう少し見たかったという気持ちと見終わった後の満足感があります。
 「ワン・ピース」は、子供向けというくくりなのでしょうか。だとすれば、いい大人がよいしょする理由がわかりません。物語の展開も冗長ですし、設定もチープです。ワンピースの漫画の方は読んでいませんし、たまにみるアニメの映像からそう判断しているわけですが、サンデーの「絶対可憐チルドレン」は、アニメからサンデーの本誌を読むようになったほどであったことを思い出せば、つまらないのという印象しか残らないのは、逆に不思議な気もします。
 まあ、これは視聴者としての正直な気持ちなので、ワンピースに関わっている人がおられましたら、気にしないでください。単なるアンチなだけです。
 西見君は迎さんに失恋し、できれば迎さんの千太郎への思いが通じるように、といろいろ気を遣います。千太郎は、百合香さんへの思いを断ち切れず、また百合香さんは桂木淳一への思いがすてきれず、という誰も幸せになれない状態が今回も続いています。
 今回よかったのは、迎さんが、学校で居残って勉強しているところで、西見君が話しかける場面でした。
 「律っちゃん、居残り?」
 「ああ、うん。数学の課題忘れてしもうて。」
 「めずらしいね、しっかり者の律っちゃんが」
 「え~、うちしっかりものじゃなかよ。うっかりものよ。いかんねえ、春はぼんやりして。」
 「あ、この曲」(背後でブラスバンド部の演奏)
 「サウンド・オブ・ミュージックの曲だ。」
 「うち、この曲好き。」
 「ああ、律っちゃん、すきそうだねえ。あの映画。」
 「うううん。映画は観とらんとよ。気がついたらもうおわっとって。よか映画やろうね。なんで見のがしたっちゃろう。いつまでもみられるとおもっとったとやろか。ばかね、うち。」
 西見君は、あくまで映画の『サウンド・オブ・ミュージック』の話をしているのですが、知らない間に千太郎への恋心がもう届かないことを後悔する律子の告白になっています。
 いつまでも千太郎の隣に居続けることができると思っていたのに、千太郎には好きな人ができてしまった。「うちしっかりものじゃなかよ。うっかりものよ。」「なんで見のがしたっちゃろう。いつまでもみられるとおもっとったとやろか。ばかね、うち。」というなかば独り言のなかに、自分でももうどうしようもない恋心を忍ばせています。


 
 この背後に流れていた曲がMy favorite thingsですね。JR東海の「そうだ!京都に行こう」というCMのBGMとして用いられている曲といった方がわかりやすいでしょうか。
 またですか、といわれそうですが、個人的には、John ColtrainのMy favorite thingsの演奏が最も気に入っています。どこか循環するリズムの中に高揚感が次第に生まれていくのです。これはYoutubeに演奏が残っていましたので、興味のある方は一度聞いてみてください。
http://www.youtube.com/watch?v=iQsvMf8X0FY
 ヨルムンガンドよろしく、エウレカセブンAOも割合きっちりと世界観が作り込まれているような気がします。
 しかし、今回驚いたのは、瞬く間に外見が変わってしまう登場人物が現れたことです。
具体的には、

 これが、

 
 これに瞬時に変わってしまうのです。

 これは、まさしく、フィリップ・K・ディックの小説『暗闇のスキャナー』の中にでてくるスクランブル・スーツではないでしょうか。やはりこの作品を原作とする映画「スキャナー・ダークリー」では、瞬間瞬間で人物の姿が変わってしまうスーツとして描かれていましたが、実際には今回のエウレカのように外見を自分の意思で帰ることができるようなスーツだったのではないかと思っています。
 『暗闇のスキャナー』の粗筋は、つぎのようなものです。このスクランブル・スーツを着た主人公が、潜入捜査で、麻薬の売人になりすまします。主人公としては、自分が誰であるのかがわからなくなり、最終的には、麻薬中毒患者の矯正施設とされている農場に送られるのですが、まさに、その麻薬で栽培されていたのがその麻薬で、この麻薬の売買には国家が関与していたというお話です。うろ覚えなんで、少しちがうかもしれませんが、現代におけるアイデンティティーの危機をそのまま体現したギミックが、このスクランブル・スーツだったわけです。
 沖縄諸島連合といい、今回のミャンマーの麻薬栽培農場といい、おもしろいシチュエーションですね。少し楽しみになってきました。