「ちはやふる」も熱心に見ていた口なので、日本の古典を題材にした作品もありかなとは、広後考えていたのですが、表題通り、超訳百人一首に脱帽でした。
和歌を残すということが、政治的敗者を鎮魂する意味もあるということは知ってはいましたが、陽成院の回は秀逸でした。本当にやられた、という感じです。
幼くして帝位についた貞明(後の陽成院)は、わがまま放題。宮中で出会った綏子の微笑みを絶やさぬ健気な姿にイライラした貞明は、ヘビをけしかけて思いっきり嫌われてしまう。
その後退位して陽成院となり、思いがけず綏子(やすこ)と夫婦になるが、すっかり人間不信になっている貞明は変わらぬ綏子の微笑みに安らぎを覚え始めながらも、つい心無い言葉をかけてしまうのだった。
・・・というのが公式のHPの解説ですが、「日本三代実録」でも、藤原氏の利害関係から陽成帝の退位がはかられたこともあり、陽成帝に不利な記述になっていることは有名な事実です。ひねくれ者の陽成院が綏子に送ったこの一首がなければ、ひねくれものの心情の中にある素直な気持ちは残らなかったでしょう。
和歌を残すことで、敗者にもしかるべき敬意を払うというのは、日本文化の奥深さだろうと思います。和歌を扱うということは、芸術の創造の瞬間を扱うということなのですから、これが劇的なものにならないはずがありません。素直に、驚きました。