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アニメ批評

日本のアニメを考えます。

 もう2ヶ月近く前の話ですが、血の映画見てきました。客の入りは少なかったですが、内容的には満足のいくものでした。

 なんといっても映像が美しい!! 汚い画像のアニメは見たくないなあと思っている今日この頃なので、丸ノ内線の情景は、実に感動的でした。

 映画のプロットとしては、すこし食い足りないかなと思わないでもなかったのですが、映像の美しさでもう十分でした。

 映画を見て思ったことですが、日本のアニメのおもしろさは、尺の長さにあるのかなあとも考えました。1クール12回として本編が20分とすると、ほぼ4時間に相当します。映画で4時間という映画はそんなにないでしょう。長い映画といえばベルナルド・ベルトルッチ監督の「1900年」ぐらいしか思いつかないのですが、これですらノーカット版で5時間です。ですから映画にしたら、日本のアニメは大作なのかもしれません。

 それに毎回のOPやEDも忘れるわけにはいきません。正直もうしまして、今回の血の映画もmetro baroque に誘われていったというのが動機の半分以上を占めていまして、エンディングのところでようやく流れたのは、ちょっと寂しい気もしました。

 興行的にはどうなのかはわかりませんが、とりあえず見て満足のいくできでした。

 パソコンはぶっつぶれるは(しかも何度も!!)、ついでにクーラーから水が漏れ出すわでてんやわんやの2週間でした。その間もしっかりアニメは見ていたわけですが・・・。

 というわけでアクセルワールドとソードアートオンラインなんですが、個人的にはアクセルワールドの方が気に入っています。まあ、最後まで見ないとわからないのかもしれませんが、アバターが本人のコンプレックスを元に作られる、そしてゲーム世界の内部から現実に介入することができるというこの2点でアクセルワールドの方が優位であると判断せざるを得ません。

 .hackでしたっけ、あのころからオンラインゲームを題材にしたアニメが登場していると思うのですが、当のドットハックには、ゲームからかえってこれなくなるひとが出てくるという話が多かったような気がします。ソードアートオンラインの方は、ゲームの制作者がゲームの参加者をゲームの中に閉じ込めてしまうというお話なのですが、ゲーム世界と現実世界の接点がなくなればなくなるほど、ゲームの内部が現実になり、あらためてゲームの中の物語にすることになにか意味があるのだろうかとひねった見方をしてみたくなります。

 というのも、今我々が生きているこの世界もゲームの中ではないという保証はどこにあるのでしょうか(笑)。ひょっとしたら、我々自身も誰かの空想の産物なのかもしれません。確かなことは、100年もたてば我々の大部分は死んでこの世からいなくなっているということでしょう。それと、オンラインゲームにとらわれることとどれほどの違いがあるのでしょうか?

 そう考えると、現実世界とゲーム世界が平行して、しかも相互に作用するアクセルワールドの方が物語の設定として優れているなあと改めて思うのです。

 

 遅ればせながらClariSのBirthday購入しました。「俺の妹がこんなに可愛いわけがない」に「魔法少女まどか☆マギカ」の主題歌、それに傷物語のエンディングも含まれていますので、いつかは買おうと思っていたのですが、先日久しぶりにタワーレコードによる機会があったので、買ってしまいました。

 そこでアマゾンのレビューをのぞいてみたのですが、「肩すかしだった」的な反応が多かったですね。おそらくシングルで皆さんしつこく聞いていて、改めてほかの曲を聞いてみても、最初ほどの感動が得られないというのが真相ではないかと勘ぐっています。

 しかし、アルバムをトータルとして聞いてみますと、音程の安定感と声の透明度の高さはダントツですね。アニメとタイアップされていない曲にもよい曲が多く、これから利用されるのではないかと思います。

 話題になったまどマギですが、この作品の成功は、第1に虚淵玄の脚本にあったと思います。いわゆる通常の魔法少女もののジャンルを逆転させるという点が成功の鍵でした。しかし、作品全体を通してみれば、本当の主題歌はKalafinaのエンディングの曲であったと思うのです。そこに、このClariSのConnectをOPとすることによって、作品のイメージが全く逆転してしまいます。そこはシャフトの戦略勝ちでしたね。

 ClariSの皆さんには今後もがんばってほしいと思います。顔出ししなくていいんで(笑)