ココロのアウシュビッツから抜けよう
「動物の声を代弁する」っていうことばは、人によっては危険だ。という主張してきた。
動物を擬人化することに対しても、議論を横に、自分なりにいろいろと感じてきた。
動物ってどんな心境なんだろうって、「動物に感情がある」ということを前提に、参考になるケースがあったのでシェアしたい。
先日、末期がん患者さんのケアで、がんセンターを訪れた。
そのときの患者さん本人をとりまく状況が、本人が意見を言いづらい状況になっていて、
家族も本当は助けたいんだけど、それができない状況で、
本人も生きたいんだけど、それを家族に迷惑をかけたくないんでしょう、いえない状況で、
その根底には、医師との関係があって
つまり、心の奥底ではなっとくしていないことを進めていかざるを得ない状況。
本人の「生きたい」と、医師の「あんたは死ぬんだよ」っていう意図のギャップ。
ここで私がいいたいのは、「生きたい」ひとのために他にも実は選択肢があるのに
それを選ぶための情報収集の準備ができていない人たちが圧倒的に多い、ということだ。
そして、「医師」はどちらかというと、患者からのクレーム・告訴を心配し、怖れの中で診療をしているように思える。
自分を大きくみせたり、自分の実績を必要以上に押しつけたり、という必要がないのに、患者や家族にそういっている、もしくはおどしまで使う医師たち(と患者から思われている)。
そして、その医師に従うのが正しい、医師は偉いなどと子供のころからの教育やメディア洗脳で思わされている私たち患者と家族。ことわざまであるくらい。
もういちど考えてみよう。身体が動かなくなったら、自分の運命は誰がきめるのか?
家族や、主治医だ。
このことを、よく考えておく必要があると思う。
自分がどうしたいのかを、しっかりまとめておく、エンディングノートを作成しておく、家族と日頃から話し合っておくなど
うちなんか父がしたいことはなんでもさせているので
まあなるべくうちがいいよ、でも、お世話は病院のほうがいいね、なんて話はしているのですが、もちろん検討することは沢山ある。
ただ、がんなどで、いらん余命宣告をされ、家族は動揺し、まるで茶番劇のように繰り広げられる、「最期の日々」のドラマ。
本人が生きたい、と思っていても、それを伝えることができない。
最期には、家族があきらめる。
自分は、もうそうか、死ぬのか。
だって、主張できない。もっと生きたい、といってもその方法を家族は知らない。
これは、心のアウシュビッツだ。言葉を、発することができない。家族を傷つけそうで、迷惑に思われるのも、いやだ。
このアウシュビッツを抜け出した人たちは、どんな暮らしを送っているだろう。
そこは光にあふれ、希望に満ちて、感謝でいっぱい。
毎日、その今の瞬間、瞬間が楽しく、生きることを愉しむ仲間に囲まれている。
家族や友人との人間関係も幸せに満たされている、信頼しあう人たちで人生が構成されている。
命が命を助け合う、幸せ。
知らなかった。生きているって、こういうことだったのか。。。
がんになって、よかった。と心から思える。
そんな、生き方。しようよ。
もう、心の中にアウシュビッツは、いらない。
ぽいっと宇宙のどっかへ、その概念を手放しちゃっていい。
もう、終わったよ、出てきていいよ。って、沢山の人にいってまわりたい!
(結局どうなったかは、個人情報があるので、ここには書きませんが、メルマガでここで書けない内容は、書いています。アニマルコーチアリーシャの「問題解決アプローチはもう卒業!動物との関係をバージョンアップする101の方法」の購読申し込みはこちら)
動物は基本会話をしない。
この子たちが、病気になって何もいえない状況で、やっぱり人間と同じように闘病したりもする。
人間と同じように、安楽死の選択も出てきたりする。
このとき、動物は、人間によって生かされている、本人たちに選択の自由は、ない。「心のアウシュビッツ」という表現が適切かどうかはわからないが。
そしてそこからこの子たちに、出てきてもらうには、もしかして日頃のコミュニケーションで意思の疎通ができていたら、
やっぱりそれっていいと思わない?
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