依存体質の人自身が、家族、恋人、友達、親子、チームなど、より自分と、密着度や新密度の高い関係に対する理想や、願望、期待、がとても高いことから、
そういう場所や人に対しては、より自分が特別なソンザイであることを感じたい、感じさせてほしいと強く望んでいる。
それが得られない…自分のソンザイが薄い…と僅かにでも感じると、鬱になったり、必死になったり、怒りがこみ上げてくる。
自分が対象を思うように支配できないことへの、欲求不満が起こるからだ。
そうしたとき、依存者の行動は主にこの2つ。
1 心配されることや、不安にさせること、気を使って貰うことで、主導権を取り戻そうとする。
2 別口で困っている人を見つける。
1は、気を引く行為。わがままに振る舞ったり、病気や体調不良を起こす、ブスッとする、やきもちをやかせる、心配させる話…大変だった、虐められた、
悪く言われた・言われてるよ、大変なことになるよ、あなたのためだよ、私は苦しんでいる、我慢してる、等々を話す、など。半分意図的・半分無意識。
2は、自分が楽に支配できそうな、より困ってそうな人を探し役立つこと。
依存体質の人は、相手や周囲への期待の高さ故に、例えば、話題に入れないとか、自分が話せないとか、ノリについていけない、とか、そういうことでも、
疎外感を感じることが多々あり、上のような行動をとる。
自分がある程度気を許せている関係ほど、それがひどくなる。
周りからすると、その自意識過剰や被害妄想についていけず、付き合いきれなくなってきて、やがて本当にアウェーな存在なってしまう。
それを私は、今まで相手や周りの薄情さとか、思いやりのなさだと責めて生きてきたが、とんだ当たり屋である。
タイムマシーンがあれば、その時の自分を殴って墓穴に突き落としたいぐらいである。
そういう理由で、過去に私は依存体質でない恋愛相手とは、長続きできなかったし、自分が支配できそうな相手でないと、仕事や友達付き合いができなかった。
殆どの依存体質の人がそうだろうと思う。
必然的に、誰かに指示されないと駄目な人、自発性のない人、主体性のない人、自立できていない人、反論できない人、流されやすい人、気が弱い人、ばかりと馴れ合うことになる。
しかし、そのような人との関係を甘く見てはならない。そのような人たちは、責任やリスクや、面倒を回避したい人たちなので、
結局、自分がいいように扱われて、面倒な問題を背負こむことになるのがオチなのだ。
自分の支配欲を満たしたツケなんだな。
支配する人間は、支配される運命なのだ。
自分の不利な立場に気がついても、あとは、互いの責任の擦り付けあいへと展開してゆくだけなのだ。それならまだしも、安易に期待させたぶんだけ、相手に恨まれることもある。
依存体質の人は、人間関係全般に期待をすることをやめたほうがいい。
仮に、人に何かを期待するのであれば、他人の欲望を満たせる懐の広さがいるぞ。どうなっても、不平不満を洩らさないくらの覚悟があるのかい?
依存体質の人は、自分の支配欲を満たしたいことが本当の目的なので、自分がしてあげていることが、場や相手のためになっていないどころか、仲間割れの原因をつくっていることなどはよくある話。
人にとって、他人の善意や思いやりは嬉しく思うし、断る理由もないが、それは、相手にとっては、命がけの緊急事態でない限り、どうしてもなくてはならないものでもないのだ。