依存体質×依存体質=
共依存関係
という。
依存の裏返しは、支配なので、共依存関係とは、お互いを支配し合う関係だ。
【人】と言う字は、確かに支えあっているが、依存体質の人は、支えを通り越して、相手の中心に入り込んでしまう。
自分が誰よりも、相手の人生や心の中心…特別なソンザイでいたいし、私でないとダメ、だと、感じさせてほしい。
ぶっちゃけ、世界の中心でいたい、という征服者のような願望があるので、人間関係には常に欲求不満を抱えている。
自分が中心になれないなら、仲間などはいらん。これが本音。無論、自分を一番に扱ってくれない恋人もいらん。
同等な関係などはお呼びでない、完全にヒエラルキーの頂点にいたい。ぜんぶ私の本音じゃっ!
ダメな人をほっとけないのではない。ダメな人の上に立つのが快感なのだ、と私は自分を分析して理解した。
よくよく見てると、依存体質の人は、けっこう自信過剰だし、ちょいちょいマウンティングしてくるしね…ん?ん?って、とこあるから。
なので、依存体質の人は、自分が支配できそうな人を友達や恋人に選ぶ。もちろん、その相手も依存体質だから、下のような力関係で互いの支配欲を満たし合うことで、成り立っている。
依存体質A=能動的
飴をあげよう。
依存体質B=受動的
わぁーい。
一見すると、AがBを支配しているように見えるが、実はBはAの支配欲を満たしてあげることで、自分の支配欲を満たしている。
フツーの人間関係でも同じような力関係はあるが、共依存関係の場合は、この関係が、覆ることがない、というより互いに相手のポジションに立てない。
なぜなら、互いに自分よりダメな人を選んでいるから…。
A=何かをリアクションするがわ…指示するがわ、お願いされるがわ、動くがわ
B=相手のリアクションを受けるがわ…指示されるがわ、お願いするがわ、待つがわ
AはBのポジションが苦痛だし、BのAのポジションは荷が重い。
つまり何かトラブったときに、脆い関係が共依存関係。
例えばこんな感じ。
依存体質A
ほら、飴ちゃんだよ。
依存体質B
飴はもういらんし。
…ンガッ?←A
or
依存体質A
飽きたわ…
依存体質B
ちょ、契約違反!
共依存関係は、アリ地獄。片方が抜け出そうとしたら、片方がそれを引き留める。
情にほだされ、脅され、嫉妬され、真綿で首を絞められ…互いにボロボロになってしまう。
依存体質の人なら、そんな修羅や地獄は一度ならずは経験があると思う。
でもそうなってはじめて、依存体質の人は自分の依存体質や、支配的な欲望から抜け出したい、自分を変えたいと思うようになる。
自分を変えるには、自分を知らなければならない。
しかし人は、自分で自分を見れないいきものだ。
人は、自分を知るために、自分がやられたことを人にして、相手の反応を見て、自分もそうだったのかな、と知る。すべての人は、無意識的に、そうやって自分を確認している。
依存体質の人の場合は、自分が抜け出したい共依存の相手から受けている支配を、
別の自分に似た依存体質の他者に行い、その人の反応から、自分の問題点を知る。
上のAとBの共依存関係で説明すると、
AがBとの共依存から抜け出したいと思うとき、自分に似た依存体質の他人【飴をやるがわ】【指示をするがわ】を見つけ、
自分がBの【飴を貰うがわ】【指示をするがわ】の立場になることで、相手の反応から、自分のしていることを自覚する。Bの場合はその逆ね。
この行動はほぼ、無意識なので、自覚なかその相手や条件に引きよせられていく。
…長年共依存の関係でいた相手と、ある日、力関係が逆転するときがある。
歳取ってどっちかが弱るとか、稼ぎ頭が逆転するとか、子どもがデカくなる、とか、なんかオイタしたとか、片側が別で支配欲を満たしてる、とかね。
そうすると、共依存者どうしで立場が入れ替わる。相手から指示されてた自分が指示する側になる、みたいに。
やっぱりそれも、自分を知るための無意識の行動だ。
もし、自分が
- 依存体質だと自覚がある
- 長年上手くいってない・悩んでいる・足を引っ張っている人との関係がある
- 過去の依存体質の人のトラウマがある(過去のトラウマのある恋愛相手や結婚相手)
ならすでに自分が、自分に似た他人に、そのような行為をしていてほぼ間違いない。