令和3年3月○日。診察室の椅子に座るか座らないうちに、自分から話を切り出すのが、N子さんのお決まりのパターンです。

 「変わりありません。調子いいですよ。ジェイゾロフト(25)1錠と、マイスリー(5)半錠は飲んでますよ。最近は頭がすっきりして、意欲が出てきました。それから、先生、今年になって、息子に勧められて、スマホを始めたんです。まだ、使い方がよくわからなくて。でもほら、ひ孫です(と言って、写真を見せながら)、91歳(6ヶ月)でスマホデビューなんて、おかしいですよね。でも、これで世間が広くなったような気がします。・・・」と嬉しそうに語ってくれた。

 <それはすごい!・・・他には、何に使ってます?インターネットも使ってる?>など、その日の診察はスマホの話題に終始した。

 

 N子さんは。平成11年2月が初診なので、22年以上の付き合いです。今回は、過去22年間の、N子さんとのやり取りを、ダラダラと振り返ってみたいと思います。

 

 平成9年10月、夫を胃癌で亡くした。平成10年1月より、不眠、食欲不振などの症状が出現したため、○○市の△△病院精神科受診。3週間の入院加療を受け、その後1年間通院した。しかし、自覚的には「1年前と、まったく変わらない」と感じ、家庭医に相談したところ、当クリニックの受診を勧められた。

 平成11年2月の初診時(当時69歳)、「1年前と症状はまったく変わらないんです。憂うつで、何もしたくないし、食欲もない」「人に会うのがおっくうで、同窓会とか、友人に誘われても行きたくない」「もともと不眠気味で、何かあったときは眠れない」といった訴え。

しかしながら、訴えとは裏腹に、ときおり笑顔が見られ、会話からは、抑うつ気分や不安がこちらに伝わってきません。「食べられない」とは言うものの、栄養バランスに気を配っているし、体重減少もなかった。一番の心配事として、孫の不登校をあげ、「息子のところに何度も電話して困らせている」というものでした。

<私の見立てでは、うつはもう治ってると思いますよ。薬も、こんなに飲む必要ないと思います。薬ではなく、生活スタイル変える努力が必要なんだと思います。食欲がないと感じていても、体重が減っていなければ問題ありません。ご主人と二人の生活から、一人の生活になったことが、大きく影響しているのだと思います>と伝えた。

 後から聞いた話では、「夫は銀行マンで、優しくて、良く気のつく、デリケートな人だった。何でも、夫の言うとおりにしていればよかった」と。N子さんは、19歳で結婚。会社勤めの経験もなかったといいます。

 

 初診の日から半年間くらいは、引きこもりがちな生活から抜け出すことが出来なかった。来院の度に、「眠れないんです。テレビも新聞も興味ない。何もしたくないので、ソファーに横になってボーっとしてます。孤独だし、寂しいし。朝は不安で、胸をかきむしりたくなる・・・。」という訴えが続いた。薬をあれこれ変更してみても効果はなく、食欲不振、不眠、体調不良の訴えが続いた。

 このような膠着状態を抜け出すきっかけになったのは、自宅の改装、趣味の復活、ひとり旅(ツアー)でした。

 平成11年11月、「家の改装工事(10日間)が終わりました。お風呂いいですよ、洗濯機も全自動で。・・・でも一人は寂しいですよ」と。

 平成11年12月、「家が大変。夫の相続税のことで。税務署の人がきたり、銀行の金庫まで開けられた。いいと思ったらそんなことがあって。でも、俳句は行ってるし、お芝居の券も買いに行きました」と。

 平成12年3月、「私、病気治ってますか?」<治ってます。必要な用事があれば、(不安な)考えをそこでストップさせて、出かけていけてるじゃないですか>と。

 平成12年5月、「とっても体調がいい。出歩いてばかり。1人で京都ツアーに参加しました。醍醐寺、彦根城・・・。旅行中は、食事は全部いただけた。体重も気にしなくなってる。ときどきは、昔のこと後悔したり、先のこと心配したりもするけれど、楽しいことの方が多い。俳句の全国大会で、秀作に選ばれたり・・・」と。<楽しいことに、目を向けられるようになったんですね>と。(当時の処方は:テトラミド(10)2錠、アモキサン(25)1錠、メイラックス(1)1錠、だった。)

 

 その後は順調に経過。「一人暮らしも、気ままにやれて快適ですよ」とも言うようになり、薬もどんどん減って、平成14年10月には、抗うつ薬は中止。サイレース(1)0.5~1錠、眠前服用のみになりました。しかし、来院のたびごとに、「この薬、一生飲み続けても大丈夫ですか?」と訊かれて、<大丈夫です。あなたはお酒も飲まないし、血液検査の結果も全く問題ないし、規則正しい生活ができているし、・・・いつでも止めようと思えば止められますよ、試しに四分の一にするとか、飲まないで寝床について、30分間経っても寝られなければ飲んで寝る、と決めて実行すれば、飲まないでも眠れる日が出てきますよ>と。「わかりました。でも不安だから、半錠を続けます。飲んでても大丈夫なら続けます>と

 平成25年1月、「元気です、半分飲んで(サイレース(1)0.5錠)、快適に暮らしていますよ」と。その後は、かかりつけの内科医に、高脂血症のクスリと一緒に、サイレースを出してもらっていたので、来院しなくなっていた。

 

   (3年9か月後)

 

 平成28年10月、「1週間前までは、サイレース(1)0.5錠で眠れていたのに、3か月前から入れ歯が合わなくて、・・便潜血反応が出て、これから大腸ファイバーをやることになってて、・・1錠飲んでも3:00に目が覚めた・・」と。<検査が終われば、また元に戻ります。睡眠時間は4~5時間で十分です。そのうちにまた、サイレース(1)0.5錠で眠れるようになります>と伝えたけれど、その後も、自分が思うような睡眠が得られなかったようです。

 平成28年11月、「先週、近くの○○クリニック(精神科)で診てもらったら、『サイレースは高齢者は飲んではいけない。全部捨てなさい』といわれて、別のクスリ(ベルソムラとメイラックス)が出たけれど、それを飲んだらおかしくなって、もうあそこには怖くて行けません。私はどうしたらいいでしょうか?」と。<○○クリニックの先生の言うことは、教科書的には間違ってないし、そのクスリは、私も使ってます。メイラックスは、以前あなたも飲んでいたことがある薬ですよ。あなたは20年以上サイレースを飲んでいて、多少の依存は出来ているかもしれないけれど、ここ10年余は、サイレース(1)0.5錠でやれていたのだから、これから先の10年も、このままいけると思います。今回は、便潜血反応が出て、大腸癌が心配になって、睡眠リズムが狂ったんだと思いますよ>と。その後は、(サイレース(1)0.5錠を内科からもらって飲む)という元のさやに戻った。

 

  (7か月後)

 

 平成29年6月、半年ぶりに来院。「最近になって、調子が悪くなってしまいまして。心配なことがあって。娘に乳がんが見つかって、私が落ち込んでしまい、サイレース(1)1錠飲まないと、半分では眠れない。日中の心配から解放されたい。何とかしてください」と。“心配の反すう”がまた始まったな、という判断で、ジェイゾロフト(25)1錠を眠前に処方。それから2週間後、「あれ飲んでから、2~3日はちょっとムカついた(ジェイゾロフトの副作用)。あれから、癌の本を買って一杯読んだ。でも、娘のことはもう考えないようにした(考えないでいられるようになった)」と。<ジェイゾロフトはこれからもっと効いてきますよ>と。

 平成29年7月、「食事は3度いただいて、おいしい。俳句も月に2回行ってます。サイレース(1)0.5錠で、23:00~5:00まで寝られます。昼寝もしません。物事を割り切れるようになったし、忙しくしてます」と。ほぼ元の生活スタイルに戻った。

 平成29年10月、「調子いいです。ジェイゾロフトを飲むのを忘れることもあります」と。<それなら、ジェイゾロフトを1日おきに服用して、2~3か月かけて止めてみてください>と指示。その後は順調で、元のさや(サイレース(1)0.5錠を内科からもらって飲む)に戻った。

 

  (7か月後)

 

 平成30年6月、「歯の具合が悪くて、歯医者をいくつも回った。眠れないことと、歯のことばかり考えて、何も手に着かない。俳句もやってないし、夕食も自分で作らず、宅配にしてます。あのクスリは(ジェイゾロフト)、3か月前に無くなってから飲んでません」と。<心配事が頭から離れなくなって、ウツっぽくなるというのは、2年前と同じパターンですね。ジェイゾロフト(25)1錠を、また飲んでみてください。睡眠は5時間で十分ですよ>と。この時、睡眠導入剤を、サイレース(1)0.5錠からマイスリー(5)1錠にスイッチ

 平成30年8月、「調子いいですよ。結構忙しいんです。宅配の夕食は、土日は止めて、生協に入りました。月2回の俳句の会では、私が一番年上になっちゃって。でも、若い人たちの役に立てると思うと幸せです」と。

 平成31年3月、「調子いいですよ。俳句、体操教室、老人会での筋トレ、楽しんでます。マイスリー(5)0.5錠、ジェイゾロフトは半分にはできないので、1日おきに飲んでます」と。

 

  (4か月後)

 

 令和元年7月、「このところは、マイスリー1錠飲んでも、22:00~3:00で、後眠れない。一人暮らしだし、何もしたくない。ごはん作るのもめんどくさい」と。<ジェイゾロフトを中断して3か月すると調子が悪くなるという、いつものパターンですよ。ジェイゾロフトの効果は、止めて2~3か月過ぎたところで、「効いていたんだ」と気づく薬なんです>と。

 令和元年8月、「梅雨が明けてから調子が悪い。歯が悪くて通っている。昼間も眠いので、ジェイゾロフト止めた方が良いか。息子が来て、こんなクスリ飲んでるから眠いんだ、と言われた」と。<眠気は薬のせいではありません。7月は飲んでいても眠くはなかったでしょ>と伝えたけれど、ジェイゾロフトは止めてしまった。

 

  (1年後)

 

 令和2年9月「あれからもずっと不眠で、マイスリーだけ内科でもらって、(5㎎の)半分飲んでました。暑さとコロナで食欲もないし、体重も2㎏減った。コロナが怖くて、怖くて、ほとんど家にいます。憂うつで、内科の先生に訴えたら、デパス(0.25)1錠が1日三回で出て、そしたら日中もフラフラして、びっくりして、相談に来たんです」と。<やっぱり、ジェイゾロフト(25)1錠を飲んでないと、生活の質が落ちてしまいますね>と。ジェイゾロフト(25)1錠を再投与した。

 令和2年10月、「全然変わらないです。調子よくないんです」とはいうものの、表情が明るくなって、食欲も出ているし、料理も自分でやり、NHKの大河ドラマや朝ドラも見ているし、私の俳句が選出された、などと嬉しそうに話すようになっていた。

 令和2年11月、「調子いいんです。食欲もあります。コロナもちょっと心配だけど、昨日は一人で薬草園に行ってきた。宅配の夕食も飽きたので、今月から自分でやることにしました」と。その後はコロナもあって、2か月に1回の通院で安定。

 そして、令和3年3月、「変わりありません。調子いいですよ。ジェイゾロフト(25)1錠と、マイスリー(5)半錠は飲んでますよ。最近は頭がすっきりして、意欲が出てきました。それから、先生、今年になって、息子に勧められて、スマホを始めたんです。まだ、使い方がよくわからなくて。でもほら、ひ孫です(と言って、写真を見せながら)、91歳(6ヶ月)でスマホデビューなんて、おかしいですよね。でも、これで世間が広くなったような気がします。・・・」と、驚きの発言となったんです。

 以上、22年間のN子さんとのやり取りを振り返ってみました。

 

 69歳で御主人を亡くし、生まれて初めての一人暮らしを余儀なくされ、2年間は軽うつに沈んだものの、自宅の改装、趣味の復活、ひとり旅(ツアー)、などの助けを借りて、

そこから脱出し、「一人暮らしも、気ままにやれて快適ですよ」という境地に至ってからは、豊かな老後を送ることが出来ています。

 「もともと、心配症で、クヨクヨ考えこみやすい」という性格傾向があるため、自分自身の体調不良や、身内の心配事(娘さんの癌発症、孫の不登校など)によって、多少ぶれることがあったものの、サイレース(1)0.5錠の助けを借りて、86歳までを乗り切ることが出来ました。

 87歳を過ぎてからは、加齢の影響もあってか、ジェイゾロフト(25)1錠の助けが必要になっていますが、豊かな老後を過ごすことが出来ています。

 

 令和3年9月〇日、開口一番、「はい、変わりありません。調子いいです。92歳になりました。・・・スマホ楽しいですよ。筋トレ教室のお友達に、ラインで一斉メールして、写真を一緒に送ったり・・・」と。そして、毎回のように繰り返される質問は、

 「ネットでみたら、マイスリーは依存性があると書いてあったので、飲んだり飲まなかったりした。でも、飲まないと寝つきが悪いので飲んでます。私このまま飲み続けてもいいんですか?」と来るんです。それに対してのお答えは、

 <あなたの場合は、生活は規則正しいし、昼寝も全くしないし、趣味も活発だから、いつでも止めようと思えば止められますよ。試しに四分の一にするとか、飲まないで寝床について、30分間経っても寝られなければ飲んで寝るとか、と決めて実行すれば、飲まないでも眠れる日が出てきますよ>と。

 「わかりました。でも不安だから続けます。飲んでても大丈夫なら続けます。ジェイ何とかの方はどうしましょう」と来るので、

 <ジェイゾロフトの方こそ、止めないで続けましょうよ。せっかく、92歳にして、羨ましいような幸せな日々が送れているのに、それをわざわざ手放す必要はないでしょう。ジェイゾロフトの効果は、止めて2~3か月過ぎたころ、具合が悪くなって初めて、「効いていたんだ」と気づく薬なんですから。ここ数年間で3回は、それを繰り返してますよ>と。

 「そうでしょうか(と首をかしげながら)・・・わかりました。また来ます。」と言って、足早に颯爽と診察室から出ていった。

 

(補足)

 80代後半から90代前半の、うちの患者さんの数人は、ジェイゾロフト(SSRI)、やサインバルタ(SNRI)を飲んでいます。以前のブログで紹介した、H子さんもその一人です。また、わがクリニック通院で最高齢94歳のT子さんは、ジェイゾロフトとリフレックス(ミルタザピン)を飲んでいますが、2か月に1回、単独で通院していて、ボケは全くありません。この人たちにとって、SSRIをはじめとする抗うつ薬は、不安障害やうつ病の予防になっていて、更には、認知症の予防にもなっていると思います。