不安障害の患者さんの中には、被暗示性(催眠のかかりやすさ)の非常に強いひとがいる。M子さんとT子さんは二人とも、依存心が強く、被暗示性も相当強い。平成28年11月、ほぼ同時期に、二人は呼吸瞑想を始めた。ところが、始めて1週間以内に、

 

 T子さん「とても力が抜けて、安らぎがあって楽しい。喜びがわいてきて、ずっとやっていたいと思う。フワッと宙に浮いているような感覚もある。こんなに心地よい感覚は生まれて初めて」、とやや興奮気味に語る。

 

 M子さん「寝床でやってたら、ウォータベットに乗ってるような浮遊感が出てきて怖くなった。考え事したらすぐにやるようにしている。何を考えていたのか覚えていないこともある。気がついたら眠っていたり、記憶がないこともある」、と声高に語る。

 

 二人とも、瞑想をすると「無になって、心地よい気分になる」というような思い込みがあったらしく、“自己催眠状態”に入ってしまった。これは、瞑想のプラセボ効果みたいなもので、長続きはしなかったが、二人には、即刻中止してもらった。安易に自己催眠状態に入ることは、心身症や精神障害を誘発する恐れがある。呼吸瞑想は目を閉じて体を静止しているため、“過集中”によるいろいろな副作用が起こりやすい。手動瞑想に切り替えてからは、二人のような自己催眠状態におちいったケースはない。手動瞑想は、目を開いて、手を動かしているので、過集中にはなりにくく、自己催眠状態におちいりにくい。

 

 不安障害の治療として、ヴィパッサナー瞑想に私が期待しているのは、過度な心配に傾いた「自分の思考に気づき」、いち早くその「思考から離れる」こと(注意の転換)である。注意転換の能力を鍛えるのには、同じヴィパッサナー瞑想でも、呼吸瞑想より手動瞑想の方が勝っているのではないか、と私は考えています。悟りを開くのには、高い集中度を必要とするので、呼吸瞑想が勝っているのかもしれない。しかし、呼吸瞑想は技術習得が難しく、副作用(変性意識をはじめいろいろなことが起こる)もあるので、専門家の指導を受けながらやる必要がある。精神科治療では、瞑想の専門家を擁するのは困難だし、副作用があっては困る。目的はあくまで精神障害の治療である。<害することがあってはいけない>、と私は肝に銘じている。

 不安障害の人の“注意転換”機能を鍛える意味については、「メタ認知療法と手動瞑想」を参照してください。

 

 T子さんには、平成29年5月から手動瞑想をやってもらっている。最近の様子は・・、

 平成29年9月「童謡を歌いながら手動瞑想をやっている」「私は(生きとし生けるもののおかげで)生きている」<歌に合わせてやるのは、気づきがなさすぎて、ヴィパッサナー瞑想になっていないのでは?>

 平成29年11月「心と体は、しょっちゅう変化している。気持ちよくやれる時と、不安な考えばかりでガタッと落ちているときがある」。<やっと、気づきが出てきたね>

 平成29年12月「雑念ばかりで(無になれない)気持ちよくないしダメ!」<雑念ばかりだと気づいたのは大きな発見です。はじめのころの、気持ち良くなる呼吸瞑想は、それに逃避していただけで、何も気づきがなかっただけです。やっと、ヴィパッサナー瞑想になってきたのではないか?>

 

 どうですか、<いい感じになってきたな>と思いませんか。T子さんは70歳。年齢的にみて、“瞑想による新たな神経回路”ができる(成果が出る)には時間がかかるので、先を急いではいけない。おっと、おじいちゃん先生は自分のことを棚に上げてしまいました。

 

補足:その後、T子さんは予想外の展開を見せてくれていますが、後日改めて紹介します。