A子さん、H 5.生、初診日:H.26.11月、診断名:PTSD、双極性障害、対人恐怖症
A子さんが通院を始めて三年半。症状が安定しないため、週1回の通院。一年前から無理のない形で(症状を悪化させないよう配慮して)、手動瞑想を導入している。常に不安や抑うつ気分を抱えているので、瞑想に集中するのがずっと困難だった(長時間続けられない)。<よほど気分の良いとき以外は、瞑想をやってはいけない>とも伝えてきた。普通はこういうケースは*瞑想禁忌*である。
H.29.11.○.「爆音とマンガで現実逃避していました。2~3分読めば、その世界にいる、空想ごっこ。歩いているときも、そうやっている。歩いていると人の目線が気になるので、爆音ある方が空想しやすいので。・・・空想の中で友達を作る。自分の好きなように作れる。会話に参加して寂しさを紛らわす。空想していない時間はほとんどない。空想しているか寝ているか」という。過去のトラウマ、現在や将来の不安、抑うつ気分などから逃避するための手段として、空想に費やす時間が多く、そのことが彼女を消耗させていることが最近になってわかってきていた。“空想依存症”と言っていいかもしれません(彼女の場合、空想以外でも、酒、たばこ、過食、爆音で音楽を聴く、ツイッター、などが空想以外の逃避手段となっている)。
これまで、それぞれの患者さんが、症状に妨げられて、本来の手動瞑想が上手く続けられない場合、歩行瞑想や指先瞑想、ながら瞑想(音楽を聴きながら、テレビを見ながらなど)など試してもらっていた。A子さんには、NHKのテレビ番組“鶴瓶の家族に乾杯”を見ながらやってもらったこともある。なかなかうまくゆくものが見つからなかった。そしてこの日、ハタと思いついた!
呼吸瞑想の習得のための補助的テクニックの一つとして、『心の中で数える』、というものがある。吸う息吐く息のどちらかを、一から始めて十まで数える。吸う吐くのどちらか分かり易い方を使って、十まで数える。十まで数えたら、一に戻る。途中でわからなくなったら、また一に戻る。これを応用すると手動瞑想にも使えるのではないかと思いついた。以前のブログ*“手動瞑想やり始めの患者さんからよく受ける質問”*で紹介したものです。
彼女は手の動きは完全にマスターしているので、<手動瞑想の14動作を4分割して、右手を➊―➋-➌、同じ動きを左手で➊―➋-➌、右手に戻って➊―➋-➌-❹、同じように左手で➊―➋-➌-❹、と心の中で数えてください。手の位置を確認した直後に、それぞれの数字でラベリングします>と伝えた。手動瞑想の手順を覚えるためのものとしては、号令をかけるように、➊―➋-➌と声に出してやりましたが(これでは瞑想になっていない)、こちらは手の位置を確認した直後に心の中でラベリングするという違いがあります。
H.29.12.〇.「(仰向けになって)数を数えながらやると瞑想できた。ほぼ毎日1時間はできた。嫌なこと思い出したとき、オッケーといってやる。オッケーというの、これいいですね」「やってる時ふたつのこと思った。今まで悪いことばかりにとらわれ過ぎていたな。人に期待しすぎちゃったな。他人の一つのことしか見ていないとムカつくみたい」「空想できなくて困ってるの。空想より頭使わなくていいからやる。疲れない。でも、やってると眠くなるので、日中寝てばかりいる」と、驚きの発言。
手動瞑想を長時間やることができなかったA子さんが、一気に1時間もやれるようになった。おまけに、“気づき”とも思われる発言まで含まれている。逃避手段として、1日の大半を占領していた(外出中に歩いているときも、食事をしているときも)空想癖が、『数を数えながらの手動瞑想』に幾分かでも置き換わったのは大きな成果だと思う。
以前、呼吸瞑想をやってもらっているときには、初心者には『数を数えながら』は有力な手段であるとして薦めていたのですが、手動瞑想においても有力な手段であるということに思いつかなかった。今回、『数を数えながら』が手動瞑想でも有力な補助手段だということが分かったので、今後は積極的に取り入れてゆきたいと思っている。
補足:精神科治療において、病的な逃避手段とは、「酒、たばこ、キャンブル、過食、過眠、スマホ、ゲームなど、依存が生じて止められなくなるもの」。健全な逃避手段とは、「散歩、スポーツ、音楽鑑賞、園芸、ハーブティーを入れるなど、それをやることで心身ともに健康になる助けになる趣味や行動」。仏教的見方からすると、「結構なご趣味ですね」と言われるものも、“苦”から逃れようとする逃避手段ですが・・・?
*「オッケー」はプラユキ・ナラテボーさんの専売特許です。A子さんにとっては、これも大きな助けになったようです。いつも使わせていただいています。