精神科治療に手動瞑想(ヴィパッサナー瞑想)を取り入れてから、一年余が経ちました。私が診ている患者さんが語ってくれた“気づき”を列挙してみました。私自身の瞑想のように、ゴミばかりではないと思うのですが。

 

①    瞑想技法など

「呼吸瞑想を始めて見たけれど、初めは雑念ばかりで、1分でも、2分でも苦しくて大変で、呼吸どころではなかった。我慢して続けたら、5分、10分とできるようになり、2週間かかった。今は一時間でもできて心地よい」

「テレビを見ながら、手動瞑想をやった。5週間は、どちらかにしか集中できなかった。先週から両方(手もテレビも)同時に集中できるようになった。外の音とかも聞こえるようになった」

「目を閉じると、手に集中し過ぎて、考えが浮かばない。ぼんやりと手に集中するようにしている」

「手動瞑想を、正しくやれるようになった。やり始めて15分くらいは不安な考えが出てくるけど離れられる。それからだんだんおちついてきて、とても穏やかな気持ちになれる」

②    うつ状態への気づき

「先月の給料が少なくて、風邪までひいた。気分が沈んだけど、この落ち込みはひどい状態だな、と自分でもわかった。死んでしまいたいと思うけど、この程度ならそれはないなと思った。昔に比べれば、立ち直りが早いなと思う。昔だったら、ずっと考え込んでいたと思う」

③    心配性など

「12月に、2年ぶりに友人に会う。今はそれが前ほど気にならない。以前はずっと前から気にしていた。不思議と前とは何か違う」

「電車が(駅と駅との間で)急停車した。急に胸がドキドキし始めた。その時、私はいったい何が怖いんだろうと考えた。電車から降りられないことなのか、それとも・・・いままでそんな風に考えたことはなかった。そうしているうちに電車は動き出した。ドキドキはおさまっていた」

④    後悔・反芻など

「以前よりきもちがいい。今まであれこれ考えていたことが、しょうがない、そういうことどうでもいいと思えるし、グズグズ考えなくなった。今日も一日無事にイライラせずに終わったと思える。寝るときも、私はどうしてこんな人と結婚したのか、などと考えなくなった」

「このごろ、考えちゃって、考えちゃって、というのが減っている。前は、外出の前日は考えから離れられなかった、一晩中だったのが、30分で脱出できた」

「役所に行っても、嫌だなというのと、おっくうだっただけで、反省会が減った(あんなこと言わなくてよかったとか)。短大の時の奨学金の返還猶予の電話をかけた時も、予期不安はあったけど、その時だけで済んだ。前は何日も前からあって大変だった」

⑤    身体感覚など

「人の心と体は、しょっちゅう変化しているんだな。だって、気持ちよくやれる時と、がたっと落ちてうまくやれない時がありますもの」

「手動瞑想をやろうと思ったら、頭が痛くなる。(痛い!でなく)痛みがあるんだな、と思ったら続けることができた。痛いんだけど、そうなのねえ、という感じ」

「蝉オッケー、女の子オッケー、ガキもオッケー・・・とやっていたら、声はみんな同じぢゃないかと思えてきた。前は、(先生が)ガキを止めないで、俺の考えを変えようとするのが不満だった。メンタルちゃんは俺を変えさせようとするのかと腹を立てていた。こんな手をちょろちょろするのが何でやらせるんだと思っていた。でもやったら、ああそういうことか、みんな平均して当たり前の物音なんだと(わかった)」

「マッサージベットに寝ていて、リラックスできていないな、肩と首にこんなに力が入っているとは、今まで気づかなかった。私は、そんな性格だわと思った」

⑥    感情(怒り、恐怖など)

「母と喧嘩しても、ここで怒っても仕方ないわ、と思う」

「帰宅途中、高校生の集団が道をふさいでいるのに出くわすと、しょっちゅう腹が立っていたけど、今は腹が立ってる自分にハッと気づく」

「他人の感情が気にならなくなった。ああ怒ってるな、とわかる」

「すごくイライラしているのが分かって、これが高じて自分がどうにかなるのを怖がっているのだ、とわかった」

「怒ることが減ってきた。周りで起こることにもカッとしない。瞬間的に切れるのが僕の悪い癖。車で追い抜かれても、カッッとしなかった。手を振ってバイバイした。前だったら追っかけて、クラクション鳴らして、・・・最近の事件は自分そのものだと思った」

⑦    思考など

「瞑想をやってて、こんなに考えて、どこまで考えてんだよ、あることないこと心配して、馬鹿じゃないの(と思った)」

「手動瞑想をやっていて、不安な考えからは離れられるけれど、日常で起こった不安な考えからは、歩行瞑想をやらないと離れられない。」

「瞑想していない時でも、『しまった妄想だ』と気づける」

「テレビを見ていても(ながら瞑想)、いつも他のことを考えているのが分かった。今は、テレビの集中の方が多くなった」

「本を買うと捨てるものが増えるので買えない。でも、捨てても、捨てても、完全にカラになるわけではない。ベッドは捨てられないし、諦めるしかないのかな?」

⑧    その他

「銀行に行くのに、私は何で焦っているのか(と気づいて)バカみたいと思った」

「私にはまだ、薬に対する依存心がある」

「手動瞑想はやってますよ。でも、最近は退屈」

「やり始めたころは、一生懸命に集中して、不安な気持ちから逃げようとしていた」

「今日も、男の人がしゃべっているのが、自分のことを言われていると(気になる)。気にはなるけど、離れるのが早くなった気がする」

「その男性(じっと私を見ている)と職員が別室で話をしている間、私はパソコン作業に集中できていた。前だったら、気になって気になって、頭から離れなかったと思う」

 

 瞑想を始めたばかりの頃は、瞑想中であろうと、日常生活の中であろうと、「何か変化が起こっているはずだ」と期待しているので、ちょっとした変化をとらえて、これが瞑想の効果だと思ってしまうことが多い。精神科の薬物療法でも、効くのに1~2週間はかかるはずの抗うつ薬が、服用したその日から効いたと感ずる患者さんが多々いる。いわゆるプラセボ効果というもので、自己暗示による効果である。しかしそういう効果は長続きしない。瞑想にもプラセボ効果が存在する。また、仏教書や瞑想本をカンニングしてしまうと、そういうことが起こりやすいのではないかと思う(これは私の体験でもある)。

 しかし、瞑想を続けるうちに、何も変化が起こらない、ゴミばかりの瞑想がつづくようになる。「こんなことやっていて何か意味があるのだろうか。時間がもったいない。こんな時間があれば用事の一つや二つはできてしまう」などと考え始め、瞑想をやめてしまう人も多いが、ここからが踏ん張りどころである。

 手動瞑想をやっている患者さん(彼らのほとんどは、仏教書や瞑想本をカンニングしてはいない)の面接時には、<瞑想の調子はどうですか>と必ず訊くようにしている。「別に変わりません」という答えが返ってくることが多い。その時に私は、その患者さんが過去に語った言葉をカルテから拾って、<○○さんは以前、こんなことを言ってましたよ・・・>と伝える。「そんなこと言ってますか、今とは違いますね。そういえば最近は・・・」といって、先にあげたような“気づき”を語ってくれるのです。私の役割は、“気づき”に気づかせてあげることです。それが瞑想を続ける動機づけの向上につながります。気づきは無意識のうちに育っていることなので、自分では気づきにくいものです。自分でそれに気づけるようになるには、修行に準ずるような相当の瞑想経験が必要なのかもしれません。しかし、最近の自分の言動に注意を向けていると、「以前はこんな考え方や判断をしていなかったし、こんな行動もしなかった。生活スタイルも変わった」と気づくことがあります。たとえて言えば、以前のブログであげた、I さんのような例です。私自身の体験でも、このブログを書いているときや、日記をつけている時にそういう変化に気づくことがあります。

  “継続は力なり”。瞑想による成果を自覚するには相当の時間を要する。しかし、着実によい変化が起こっていることが、患者さんを診ていてわかる。おかげで私も瞑想を続けることができている。