診察室に入ってくるなり、Iさんは語り始めた。「ひとつ発見がありました。図書カウンターにいて、自分の心を観ていた。そのとき急に、近くの蛍光灯が切れた。隣の席の人に『蛍光灯を変えてください』と頼まれた。とても忙しい仕事をやっていたけれど、その時は、『この仕事が終わったらやります』と、自然に口に出た。たわいもないことなんだけど、今までとはまるで違った受け止め方をしていた。忙しい時に何か頼まれると、これまではムカッときて、怒りに流されていた。その時は怒りに流されないで、順にやればいいだけなんだと自然に思えた。流されないで切り換えられればいいんだ。これまでの自分とは反対の世界が開けたと思った」と言うのだ。
Iさん、64歳、通院歴:8年、診断名:うつ病、身体表現性障害、
56歳時、市役所の多忙な部所で管理職をしていた。「経験のない係長に、潔癖にミスを出さないようにと、頑張って教えたことが、精神的圧迫となって、彼をうつ病にしてしまった」と自責的になり、自分もうつ病を発症。うつ病は良くなったが。悩んだあげく、8か月後に早期退職。2年後図書館に再就職して現在に至る。この6年間、うつ病の再発はないものの、元来の強迫的性格傾向(1つの考えにとらわれると、それが頭から離れない)がわざわいして、職場や親戚との対人関係の悩みが絶えず、自分を苦しめてきた。もともと内省的で、自分でも「こだわりの強さと怒りがいけない」と頭では分かってきていた。自分の反すう思考にいち早く気づき、その思考を修正する努力を続けていて、その成果も上げていた。(従来型の認知行動療法)
平成28年2月頃から、自己流で呼吸瞑想をやっていたが、「鼻炎で鼻づまりが酷くなってからは、中断している」というので、平成29年1月に手動瞑想を紹介した。寝床での瞑想、ながら瞑想、指瞑想、歩行瞑想など、「合わせれば、1日30分以上はやっていた」という。そして今日、上記の話を聴かされた。私が一番注目したのは、“自然に思えた”という言葉と、“自分が見えた感覚がこれまでと全く違う”ということだ。思考に気づいてそれを修正したのではなく、言語レベルを超えて、なにかが変わったのではないか。いわゆる、自己を客観視、脱中心化、メタ認知、といった概念以上のものかもしれない。これが手動瞑想(ヴィパッサナー瞑想)の効果なのだろうか。
蛇足ですが、アレルギー性鼻炎の季節には、手動瞑想がもってこいです。鼻が詰まっているときは、呼吸瞑想は困難であるということを、I さんが教えてくれました。
I さんには、さらに続編として、*手動瞑想による更なる”気づき”か?*があります。