S子さん、平成29年8月〇日、無事に女児出産。1470gの低出生体重児ながら、母子ともに健康。9月〇日、ご主人と共に来院し、緊急入院から今日にいたるまでの経過を報告してくれた。心の中では、<これまでの21年間、本当によく頑張ったね>といって、ハグしてあげたいくらいの気持ちだったが、<おめでとう、良かったね>と一言で済ますのが私の流儀です。

 

S子さん、S.51.生、初診:平成8年7月、診断:恐怖症性不安障害、神経症性うつ病

 19歳で短大生の時、当クリニック初診。主訴は、「去年、フランス語の授業中に、突然すごい緊張感が襲ってきて気分が悪くなった。それ以降ほかの授業にも、また気分が悪くなったらと思うと出られなくなって、留年が決まってしまった。今は、電車にも乗れなくなっている」であった。当時はまだ、SSRIが発売されておらず、メイラックス(2)1錠の処方から治療が開始された。電車には乗れるようにはなったが、留年してまで卒業する意思はなく退学。その後アルバイトに出られるようになっていたが、平成10年3月で通院中断。後になって分かったことだが、通院中断の理由は、精神科に通院することのプレッシャーと、薬を飲み続けることの恐怖だった。「父親には、お前は怠けているだけだ。精神科に通院する必要はないと言われていた。母親には、まだ薬を飲んでるの、早くやめなさいと言われた」という。しかし、その後の2年間の生活の質は惨憺たるものだった。内科をはしごして、過敏性腸症候群、自律神経失調症といった診断はもらえるものの、セルシン錠が処方されるだけで、外出することさえままならない状態にまで悪化した。

 平成12年1月、再来受診。デプロメール(50)2錠、メイラックス(1)1錠、によって、症状は速やかに改善。アルバイトをしながら、念願だった一人暮らしを始めた。平成13年4月からは、准看護学校に通い始めた。短大中退のトラウマに由来すると思われる、様々な広場恐怖に立ち向かいながら無事卒業。さらに、平成16年4月からは、高等看護学院に進学。そこでの2年間は、何度も軽うつ状態(アモキサン(10)2cap併用)に陥りながらも、並々ならぬ頑張りで卒業した。この間、突発性難聴、腎盂腎炎など数々の身体疾患にも罹った。(ストレスから免疫機能が低下しやすい体質)

 平成18年4月、(無謀にも)一般病院の外科病棟に就職し、激務が続いた。6月来院時、「いろいろあって、辞めようと思う。学校だったら無理するけど、私には外科病棟は無理だと思う。私は先生のおかげでここまでこれた。数年前だったら考えられないところに私はいると思う。先生の意見は重要なので聞きたい」を受けて、<自分がどういうところに適性があるか体験できてよかったと思えばよい。十分休養を取ったら、自分の人生だから、生き方は自分で決めるとよい。どういう生き方が良いとか悪いとかいう問題ではない>と返した。「先生は、甘えないで頑張りなさい、と言うと思って今日来たけれど・・・。これから辞表を出しにゆきます」と言い切った。しばらく休養した後、かつて勤務していた老人病院に再就職した。その後は心身ともに安定した日々が続いた。

 平成22年4月(33歳)、3年間付き合った彼と同棲。ずっと母親からは反対されていたが、「いろいろ考えた上で決めました」と自分で決断したことを報告する(しかし、母の呪縛が未だにある様子だった)。

 平成22年11月、妊娠していることが分かったその日から、服薬を中止(必ずしも薬を止める必要はない、と伝えてあったが)。その2週間後、「いろいろありまして。つわりが酷くて、私の精神状態が良くなかったので、主人と相談して中絶しました」と事後報告。その後しばらくは、中絶したことに対する自責の念が強く、「死んでも生むべきだった」という言葉を何度も口にした。

 平成23年4月、受付では「大安の日に入籍しました」とうれしそう。受付のMさんが、『善人な感じの人だよね』と言うと、「善人です!!!」と言い切る。「でも、お金が無い!!だから私も頑張って働かないと・・・」とニコニコ。「本当に長い間お世話になっています(笑)」。ところが、この日を境に通院を中断。これも後から分かったことだが、通院中断の理由は、「クスリを減らしたくて(子作りのため)」だった。自己流で減薬にチャレンジ。他の2件の精神科クリニックを受診してみたが、納得できる説明はもらえず(妊娠したいならクスリはやめなさいと言われた)。また、婦人科でも、「薬飲んでいたら受け入れてもらえなかった」と言う。仕事をやめればストレスが減り、クスリも減らせるかと考えて、仕事もやめた。中絶したことに対する自責の念と、子作りに対する並々ならぬ思いがうかがわれた。しかし、それは逆効果となり、友人との外食や夫との外出さえ困難な状態に陥った。

 平成25年7月、再来受診。「この2年間は何も思い出がない。引きこもり状態だった。私のことを一番分かってくれる先生のところに行こうと、主人が引っ張ってきてくれた」と、完全な不安抑うつ状態。デプロメール(50)2錠、メイラックス(1)1錠、を再投与して症状は速やかに改善。<薬を飲み続けて妊娠できないということはない。私が診ている患者さんで、SSRIを妊娠中も飲み続けて出産したひとが3人いる>と伝えた。間もなく、二年前の生活レベルに戻り、近所の内科クリニックに週3日勤務。無理しないペースで薬も徐々に減量。平成28年2月には、デプロメール(50)1錠、メイラックス(1)1錠を頓用(週1回くらい)、にまでなった。平成28年11月、妊娠6週で自然流産。このとき、「母は、子供を残さない人生は失敗だと言うけれど、40歳で妊娠できたことを私は喜びます」と、遂に母の呪縛から解き放たれたかと思わせるような発言があった。

 平成29年3月、夫と共に来院。妊娠11週と知らされた。「デプロメールもメイラックスも止めている。ソラナックス(0.4)1錠だけ飲んでいる」と言うので、<デプロメール(50)1錠は毎日飲んで、不安時にソラナックス(0.4)1錠を頓用にしましょうと指示>。このとき、ご主人も交えて手動瞑想を実地指導。その後、大病院の産婦人科を受診した際に、心療内科を同時に受診。『デプロメールをもっと飲んでてもいいくらい』と言われたのが安心材料になった。その後はほぼ順調に経過。平成29年7月〇日、「昨日、破水して入院しました。退院したらまた連絡します」と夫より電話があった。そして今日、平成29年9月〇日、予約の電話が入った。

 この日の診察で、「もうクスリへのこだわりはない。ソラナックスは切れ目がわかるのでイヤ。メイラックスが落ち着く。効いているのが(自分では)分らないのがいい」といった。<薬をやめるには、あなたの心配性と後悔ぐせを治さないとダメ。それには、手動瞑想を習慣化しましょう。赤ちゃんが戻ってくるまで、毎日ご主人と向かい合って手動瞑想をやってください>と言って、3人で大笑いした。

 

 21年間分の彼女のカルテを読み返して思った。SSRI(デプロメール)という薬がなかったら、彼女の人生はどう変わっていたか。不安障害を抗不安薬だけで治療すると、生活の質が極度に落ちる。抗不安薬の量が増えれば、依存の心配も出てくる。彼女は強い意志で恐怖突入を繰り返し、見事に看護師の資格を取得し、ぎりぎりのところでの子作りにも成功した。この間、突発性難聴を何度も繰り返し、体調不良を度々おこした。普通だったら、看護師の道は諦め、子作りも諦めただろう状態だった。薬を飲まないで済めばそれに越したことはない。しかし、SSRI(デプロメール)の下支えがなかったら、ここまでの恐怖突入を実行することは、彼女の強い意志をもってしても不可能だったと思う。「数年前だったら考えられないところに私はいる」と10年前に彼女も語っている。私ならとっくの昔に回避を決め込んでいただろう。彼女のこれから先の人生は長い。子育ての過程では数々の難関が待ち受けていることだろう。今後、薬物療法の下支えがどこまで必要なのか、手動瞑想がそれにとって代わることができるのか、今の私には予想できない。結果が分かるころには、私はこの世にいないだろう。

 

補足:このブログを書いていて、M 子さんの顔が何度も浮かんだ。過去ログ、「30年前にここにきていたら」に出てくる、ブルーベリーのM子さんのことです。