「限界集落」曽根英二 著 日本経済新聞社
こんにちは。
「吾(わ)のこともできませんのに、田んぼなど作れましょうか」
神郷釜村のお年寄りは女性でも、自分のことを「吾(わ)」と言う。
住民の50%以上が65歳以上で、生活道や林野の整備、冠婚葬祭など
共同体としての機能を果たせなくなり、維持が限界に近づいている集落。
1991年(平成3)、当時、高知大学教授であった大野晃(1940― )が
提唱した概念。山間部や離島などの過疎・高齢化問題や地方経済の
疲弊を象徴することばとして使われることが多い。
過疎を通り越して集落の機能が著しく低下し、限界状態にある集落。
村から音が消えていった。子どもの泣き声はもう長い年月、聞いたことが
ない。お盆とお彼岸と正月に子や孫たちが帰ってくればと心待ちにしている。
「主人と話すんですよ。誰にもお世話にならずに暮らさんとねと」
「みんな必死ですよ。私たち年寄りはね」
「隣も、その向こうも空き家。その下も空き家、都会に出てしまわれて、
……墓守(はかもり)もできんようになる」
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一方、都会やその周辺でも変化が起きているという。
都会の団地なんかで一人暮らしの高齢者が増え、知らない間に亡くなって
いるというケースが目立ってきている。こうした状況を、ほとんど住人が
いなくなってしまった限界集落になぞらえて、「限界団地」と言うそうだ。
見守り活動や情報誌を手渡して安否の確認をしたりする自治体もあるが、
先行きは難問続きだ。
限界集落、限界団地では、もしも何かあった時や、定期的な外出をする時、
電話1本で、すぐに来てくれる仕組みができないものだろうか?
しかも、安くである。
たとえば、契約で決めたことについて、
すぐに、かけつけて対応してくれる保険があれば助かる。
これから病院と買い物に行きたいなど、
1か月20回以内の利用なら無料。
こんな現物支給の保険はどうだろうか?
だめー
万一の時ではないし…………
これは保険じゃないな。