キュビスム展 美の革命 | よっこのブログ

国立西洋美術館

12/24(日)

 

神田のホテルの部屋でゆっくり朝食を食べながらテレビつけたらNHK日曜美術館がキュビスム展特集していた。

これから行く予定だったので予習ができてラッキーという気持ちと、混んじゃったらどうしようという気持ちが交錯。

でもイブの日曜の朝にテレビ観て、即、キュビスム展にデートしようってことにはならないよね。事前にお出かけコースは組み立てているはずと思いつつ番組を見終えて上野へGO。

 

子供の頃なぜセザンヌの静物が不気味だったのか、今回の展示で腑に落ちました。

印象派と言われてそのカテゴリーで鑑賞しようとしていたから違和感ありありだったわけで、立体視点での作品と思えば納得。

また、キュビスムがプリミティブイズムにインスパイヤされているというのも、なんか判る気がする。

ピカソの女性像にしてもギターにしても、アフリカの人形や日本の土偶(これが展示されていたわけではないです)とかと強調のされ方が似ている。分解すると特徴的な部品が強調されやすくなるんだろうなあ。

 

モディリアーニやシャガールってマリー・ローランサン系のメルヘンというかフワフワしてて、対象を分解して多角的立体的に見せようとしたキュビスムとは真逆な気がしていたんですが、ピカソやブラックの後継として、後継っていう言い方は間違っているか、影響を受けた人たちとして一区画あったことは意外でした。

 

モダンアートの一部の作品によく、アルファベットや数字が描かれていることがあって、どういうこと?絵画はポップデザインになってしまったの?って以前から不思議に思っていたけど、FとかEとか4とかって見た目が□や△だから、そういう感覚・デッサンになるのかなあと、諸々の作品を順に眺めていたらちょっと画家の思考に歩み寄ることができた気がした。

 

普段はミュージアムショップとかでなにか買ったりとかまずしないのですが、

今回は自分の中で色々気づきがあったので、ピカソの「輪を持つ少女」の絵はがきと、レジェの「タグボート甲板」のノートを購入。帰り際出口で企画展チラシをもらったらその「輪を持つ少女」が表紙でこれが今回の目玉だったんだと気がついたのでした。

 

ところで、いつからゴーギャンはゴーガン表記になったんでしょうか。

頭切り替えなくっちゃ!