平安京の禁苑で、

祈雨の道場と云えば、神泉苑である。

 

 

 

 

 

 

平安初期の記録によれば

「二条の南・大宮の西・三条の北・壬生の東」

が神泉苑であった。

 

現・神泉苑はコンパクトだが、

当時は今の二条城のほぼ南半分

を含む広大なものであった。

 

平安京造営以前からあった

森林を取り込んで神聖な

苑池を造営したと推測される。

 

正殿・乾臨閣(ケンリンカク)の

左右に建物を配置し、

釣殿や滝殿、橋が造られていた。

 

中央の法成就池(ホウジョウジュイケ)

に中島を築き、

善女龍王(ゼンニョリュオウ)を祀った。

 

高僧が招かれ、

善女龍王に降雨を願って

祈祷する祈雨修法が行われていた。

 

弘仁14年に東寺

を下賜され意気上る空海は、

神泉苑で祈雨の念力を

西寺の守敏(シュビン)と競い、

見事、勝利をおさめた。

 

これが神泉苑・祈雨修法

の起源とする伝承がある。