「国宝指定の宗祖の絵巻」

「現在の御影堂(ミエイドウ)」

「山内で最も古い建物」

「七不思議に数えられる黒門前にある石」

「山内にある縁結びの神」を含み、

150~200字以内でまとめる。

 

 

知恩院は承安5年、法然(源空)上人が東山・吉水に建てた草庵を始まりとする。文暦元年に上人の廟堂を門弟・源智(ゲンチ)が復興し、大谷寺として構えを整え天正3年に正親町天皇の綸旨を得て浄土宗総本山となった。境内の伽藍を見て行くと、上人の御尊像(御影・ミエイ)を納める御影堂(ミエイドウ・国宝の大殿)は寛永16年、3代将軍徳川家光によって再建された。現存の二重門で最大級とされる三門(国宝)は、2代将軍・秀忠の手で元和7年に造立された。延宝6年建立の大鐘楼(重文)は重さ約70トンの大鐘を吊る。勢至堂(旧御影堂・重文)は、造営時期が中世まで遡る山内で最古の建築。他にも経蔵・唐門・大小方丈・大小庫裏(いずれも重文)など貴重な建造物が揃う。所蔵品の中でも名高い、上人の伝記や弟子の事績を記した『法然上人絵伝(国宝)』は、能書家の伏見天皇らの詞書(コトバガキ)を添え、10年余を費やし制作された。「鴬張りの廊下」など参拝者の耳目を楽しませるのが「知恩院の七不思議」と云々、黒門前にある「瓜生石(ウリュセキ)」は知恩院造営前からそこに在ると云々、二条城へと続く抜け道の出入り口などと云われてきた。又、山内には御影堂が出来て住処(スミカ)を追われたキツネが32世雄誉霊厳(オウヨライガン)上人に用意して貰った祠(ホコラ)「濡髪(ヌレガミ)大明神」があり、縁結びに霊験あらたかと云う。

 

 

まとめると

 

知恩院は法然上人が念仏道場とした場所に源智が創建した寺院で、山内最古の建物・勢至堂辺りが発祥とされる。江戸時代に徳川家の帰依を受けた事から御影堂は徳川家光によって再建され、家光の姉・千姫の墓が在る墓地には縁結びの信仰を集める濡髪大明神があり、知恩院の七不思議に数えられる瓜生石は、地下道で二条城と繋がっていると云う伝説もある。その他、国宝の掛軸「法然上人絵伝」を所蔵する。