…が、開いたのは【51】講習堂

江戸初期の事である。

 

 

 

 

京の儒学の祖と云われる藤原惺窩(セイカ)に学び、

加賀藩の保護の下で学問を深めた。

 

帰京し、西洞院二条南に春秋堂を開設。

 

次々と京に誕生する儒学の私塾の始めと云われる。

 

後に開く尺五(セキゴ)堂を含めて学んだ門弟は

5000人に上るとされる。

 

この中に『養生訓』を

書いた貝原益軒や木下順庵もおり、

尺五は、儒学を主導する一方で教育者でもあった。

 

尺五の講義を聞いた京都所司代・板倉重宗は、

講習堂建設に出費している。

 

又、

後水尾上皇は講習堂に宸筆を与えており、

朝廷との繋がりも深めていた。