【50】鳥羽作道(トバノツクリミチ)」と呼ばれる。

 

 

 

 

安楽寿院に建つ

 

北端は朱雀大路に繋がり、

内陸の都と河口の難波津を結ぶ

重要な街道だったと考えられる。

 

造られた年代は諸説あり、

平安京遷都以前とする説や

鳥羽上皇が院御所・鳥羽離宮を造営した

時とする説などがある。

 

いずれにせよ平安京造営時には、

淀川からの物資を運ぶ重要幹線路だったと考えられる。

 

『拾遺都名所図会』巻之四・天明7年刊行

「鳥羽作り道」項には、

荷を担ぎ走る人夫の姿が描かれ、

禁裏や都に魚荷を運ぶため

鳥羽畷(ナワテ)を走ったと解説している。