大学寮が作られ、

学生は直曹(ジキソウ)に寄宿していた。

 

平安初期に藤原氏が勧学院を設立し

大学別曹としたのを機に、

有力氏族が大学別曹を設立した。

 

 

 

元慶5年在原行平は勧学院に倣い「【46】奨学院

を現・千本三条交差点付近にあたる左京三条、大学寮の南、

勧学院の西に創建した。

 

皇親諸王・皇別氏族(源氏・平氏・在原氏など)一族が利用した。

 

昌泰3年に大学寮南曹となり、

勧学院と並び「南曹の二窓」と呼ばれた。

 

奨学院址蹟標が大正6年、

京都市教育委員会により建立された。