でもある事が判明した仏師は誰か?
桃山から江戸初期に
京都を中心に活躍した大仏師・康正である。
文禄4年に秀吉の命で方広寺・大仏殿再建に携わった他、
慶長7~9年にかけ東寺・金堂の
薬師如来坐像を造った事が知られる。
因幡堂の弘法大師像は
龍谷大ミュージアムでの因幡堂展に向けた調査で
像の底部から銘文が見つかり、
康正・最晩年の作である事が判明した。
でもある事が判明した仏師は誰か?
桃山から江戸初期に
京都を中心に活躍した大仏師・康正である。
文禄4年に秀吉の命で方広寺・大仏殿再建に携わった他、
慶長7~9年にかけ東寺・金堂の
薬師如来坐像を造った事が知られる。
因幡堂の弘法大師像は
龍谷大ミュージアムでの因幡堂展に向けた調査で
像の底部から銘文が見つかり、
康正・最晩年の作である事が判明した。