開基とされるのは「橘行平」で、
『因幡堂縁起』によると橘行平が長徳3年、
勅命により因幡国一宮(宇部神社)に赴くが
病を得て帰れなかった時、
夢告によって賀留津の海中に
三国伝来の薬師如来像が
浮かんでいるのを見付けて引き上げ、
仮堂を建てて祀ったのが、平等寺の創祀と云う。
その後、
帰京した行平を追って
薬師如来像が飛来したため、
邸宅に安置し寺とし、
薬師堂・因幡堂としたと云々、
承安元年、高倉天皇の勅願で平等寺となった。
開基とされるのは「橘行平」で、
『因幡堂縁起』によると橘行平が長徳3年、
勅命により因幡国一宮(宇部神社)に赴くが
病を得て帰れなかった時、
夢告によって賀留津の海中に
三国伝来の薬師如来像が
浮かんでいるのを見付けて引き上げ、
仮堂を建てて祀ったのが、平等寺の創祀と云う。
その後、
帰京した行平を追って
薬師如来像が飛来したため、
邸宅に安置し寺とし、
薬師堂・因幡堂としたと云々、
承安元年、高倉天皇の勅願で平等寺となった。