稲葉家は、

2代当主・正勝が将軍・家光の乳母・春日局

の子であったため出世する。

 

その後相模小田原藩から淀に移封した。

 

 

幕末の当主・稲葉正邦は、

文久3年に京都所司代となり、

8/18の政変では長州藩など

破約攘夷論者の排除を実行した。

 

翌年4月に老中となり、

家茂・慶喜両将軍を補佐した。

 

 

慶応4年1月の鳥羽伏見の戦いでは、

江戸にいて不在であった為、

家臣が新政府側に応じ、その勝利に貢献した。