【⑦】二条城本丸に移築された。
桂宮家は、
江戸初期に智仁(トシヒト)親王を始祖として
創設された宮家で当初は八条宮家と称した。
江戸後期、
後継ぎに恵まれず当主不在が続き、
文久2年11代当主を継いだ淑子内親王も
明治14年に逝去して断絶した。
残された桂宮家の御殿は宮内省の管理下にあったが、
宮邸の対面や儀式の場であった御書院、
当主の生活の場である2階建ての御常御殿などが
二条城に移築され、二条城本丸御殿となった。
【⑦】二条城本丸に移築された。
桂宮家は、
江戸初期に智仁(トシヒト)親王を始祖として
創設された宮家で当初は八条宮家と称した。
江戸後期、
後継ぎに恵まれず当主不在が続き、
文久2年11代当主を継いだ淑子内親王も
明治14年に逝去して断絶した。
残された桂宮家の御殿は宮内省の管理下にあったが、
宮邸の対面や儀式の場であった御書院、
当主の生活の場である2階建ての御常御殿などが
二条城に移築され、二条城本丸御殿となった。