押小路に面した能楽堂は何処か?
「大江能楽堂」は観世流・大江家5世又三郎が
明治41年に創建した能楽堂で、
昭和20年8/15の玉音放送により、
午後から予定されていた舞台の解体を奇跡的に免れた。
1・2階席、
桟敷席(一部椅子席)の収容人数は約350、
鏡板の松には梢も根株もない。
円山応挙の6代目の子孫・国井応陽が能楽堂と演者、
この場に集う人々の精進と発展を願って描いたとされる。
押小路に面した能楽堂は何処か?
「大江能楽堂」は観世流・大江家5世又三郎が
明治41年に創建した能楽堂で、
昭和20年8/15の玉音放送により、
午後から予定されていた舞台の解体を奇跡的に免れた。
1・2階席、
桟敷席(一部椅子席)の収容人数は約350、
鏡板の松には梢も根株もない。
円山応挙の6代目の子孫・国井応陽が能楽堂と演者、
この場に集う人々の精進と発展を願って描いたとされる。