目的で鎌倉幕府が置いた出先機関は何か?

 

 

 

鎌倉幕府は、京都の御家人を統率し、

朝廷と幕府の連絡果たす役職として京都守護を置いていた。

 

承久3年の承久の乱に勝利し京都を軍事制圧した幕府は、

朝廷監視・洛中警護・西国御家人の統制のため、

京都守護を発展的に解消し「六波羅探題」とした。

 

六波羅は鴨東に於いて、

平清盛をはじめとする平家の居館が集住した場所である。

 

六波羅探題の責任者には

幕府の最高実力者・北条氏の有力者が任じられていた。