弘安9年に鎌倉期の僧・【48】叡尊(エイソン)

宇治橋を造営すると共に魚介類の供養の為、

祈願して造立されたと云う。

 

 

この塔は日本古石塔中、

最高の高さ約15mを誇る。

 

初重軸部の四方には、

金剛界四仏を表した薬研彫(ヤゲンボリ)の

大梵字が彫り付けられている。

 

宝暦6年の大洪水で石塔は倒壊し

宇治川の水中に埋没したが、

明治41年に岡山市吉備津の

宗教法人・福田会(フクデンカイ)の人々によって発掘再興された。

 

この時、石塔の九重目の笠石と相輪が見つからず、

新造して補ったとされる。