江戸中期の思想家・石田梅岩である。

 

 

 

 

京都の商家に奉公しながら勉学に励み、

45歳の時、車屋町御池上ルの自宅で講席を開いた。

 

門弟と批評し合いながら学問を練磨し誕生したのが

『都鄙(トヒ)問答』で、梅岩に名声をもたらした。

 

石門心学は、

儒教道徳に仏教・神道の教えを加味し、

「倹約」を「正直」の徳と結び、生活倫理を説いた。

 

又、

士農工商の四民平等を説き、

商人・町人の役割を強調し、

人間としての意識を高めた。