秀吉が伏見城とその城下町を建設した際、

南端を東西に流れる宇治川に「【➉】豊後橋」を架けた。

 

「羽柴豊後侍従」と呼ばれた

大友義統の邸宅が北詰にあった為とする説があるが、

定かではない。

 

 

 

 

 

北側の小高い丘は初代伏見城が築かれた

「指月森」と呼ばれる月の名所で、

そのため観月橋とも云う。

 

豊後橋から北へ伸びる道を

豊後橋通(国道24号など)と呼び、

それに接して豊臣秀次・前田利家

・毛利輝元・豊臣秀俊(のち小早川秀秋)

など重要人物が居住していたとされる。

 

豊後橋を南に渡ると宇治・奈良に通じる為、

江戸期にも交通の要衝として重んじられ、

御公儀橋の扱いを受けた。