平安京の中心を南北に設定された朱雀大路の南端、
羅城門から南へ通じる道を鳥羽街道、
同所から乙訓郡を経て摂津国に向かう道を
「【⑨】西国街道」と呼ぶ。
羅城門跡である出入口はその後、
東寺口・四塚などと云った。
南の玄関口である為、
度々儀式や戦場の場となった。
安土桃山期、
朝鮮出兵の為の諸侯の軍隊は聚楽第を出発し、
大宮通を南下し九条通を西行する。
この時、
東寺には秀吉によって復興された五重塔がそびえる。
東寺口から西下して
桂川・山崎以東のいわゆる京街道は、
秀吉が朝鮮侵攻の折、
その派兵路となった為、
唐街道とも呼ばれた。