攻撃を受け自刃した。

正伝寺・養源院などの血天井でも

その名が知られる徳川方・総大将は誰か?

 

 

 

徳川方の鳥居元忠は、

家康が今川の人質であった頃から側に仕えていた。

 

後世「三河武士の鑑」と云われる忠義の重臣。

 

 

 

 

 

 

 

秀吉死後、

家康が上杉景勝を討つ為に会津へ遠征する中、

元忠は伏見城の総大将として留守居役を任された。

 

慶長5年、

これを好機とみた石田三成は伏見城を大軍で攻め、

元忠側は十数日後に力及ばず落城した。