北野天満宮は、
天慶5年多治比文子(タジヒノアヤコ)に
御神託があり菅原道真公を祀ったのに始まる。
近江国比良宮・神良稙(ミワノヨシタネ)の子・太郎丸
にもお告げがあり、
北野朝日寺の僧・最鎮(サイチン)の協力で
天暦元年に社殿が造営された。
「乾天神」の異名は、
創建以前から北野に「天神地祇」を
祭祀した地主社と火雷神(火之御子社)が祀られ、
都の北西(乾)の守護だった事を伝える。
七不思議は埋もれた歴史を物語り、
「筋違いの本殿(本殿ではなく地主社に向けて参道がある様子)」
「天狗山(社の北西にある魔所)は創建以前の姿を伝える」
「影向松(ヨウコウノマツ・初雪が降ると御祭神が降臨され、雪見の詩を詠まれるという伝説が残る松の古木)は、道真が和歌の神である事を強調する(住吉・玉津島と並ぶ和歌の神で、柿本人麻呂・山部赤人と並ぶ和歌3神と称され、藤原定家も和歌1巻を奉納している)」。