鎌倉末期の元享元年に後醍醐天皇から

寺領を与えられ創建された妙顕寺は、

法華宗(日蓮宗)初の勅願寺である。

 

 

 

日蓮宗開祖・日蓮の孫弟子「日像上人」が

後醍醐天皇より法華宗布教の勅許を受け、

勅願寺として重要な位置を占めた。

 

伽藍の位置は転々したが、

桃山期に秀吉の命で現・寺之内堀川東入へと移転した。

 

現・伽藍の大半は天明8年の大火後に復興されたもの。

 

 

 

尾形光琳の「松竹梅」の三幅対の絵や

それに因む「光琳曲水の庭」も作庭されている。