に始まり、

その後、日慈(ニチジ)が開山となって寺に改めた。

この堂宇とは何か?

 

 

 

 

家康から鷹峯の土地を拝領した本阿弥光悦は、

本阿弥一族と縁者や種々の工匠、

紙屋や筆の職人たちを移住させ、

光悦村(芸術村)を開いた。

 

 

熱心な法華宗(日蓮宗)の信徒

であった光悦は住まいの草庵や「法華題目堂」、

本阿弥一族の位牌堂を設けた。

 

「南無妙法蓮華経」の題目を

絶える事無く唱える法華題目堂は、

信仰で一族の結束を固める拠点であり、

光悦村は芸術と法華信仰の理想郷が意図され、

位牌堂や法華題目堂は光悦没後に、光悦寺となった。