①「応挙の出身地(京都府○○市)」

②「応挙の絵の特徴」

③「応挙自らの流派」

④「応挙に学んだ呉春を開祖とする流派」

⑤「応挙の下絵を刺繍した前懸・胴懸があり、

平井保昌と和泉式部の恋話をテーマとする祇園祭の山の名」

を含み、150~200字以内でまとめる。

 

 

 

円山応挙は江戸中期の画家で、丹波国桑田郡穴太村(現①亀岡市)の農家の出身。京都に出て玩具屋で奉公し、やがて石田幽汀に入門して狩野派を学んだ。宝暦年間には眼鏡絵の制作に携わり西洋画法を知り、支援者だった圓満院門主・祐常(ユウジョウ)の所蔵品を模写し、中国の古画や清朝画の写生技法などを研究・融合しつつ、対象の真を写す②写生重視の制作を展開した。清新な現実感と伝統的な装飾様式とが溶け合った平明で親和的な作風は、町衆から宮廷まで熱烈な支持を得て京都画壇を風靡し、多数の門弟を擁する③円山派の祖となった。応挙門下には京都の金座役人の家柄に生まれ与謝蕪村に師事して絵画や俳句に優れた呉春(松村月渓)の様に、蕪村の死後応挙の門を叩いた画家もいる。才を認められ客分扱いで遇された呉春は、応挙の写実的様式に都会的な情趣や洒脱味を加えた画風を示し、邸宅のあった四条通に因む④四条派の祖となった。応挙・呉春の流派を合せた円山四条派が京都の近代日本画の源流となった。応挙の名作は支援者だった豪商・三井家伝来の『雪松図屏風(国宝)』などが知られるが、祇園祭の⑤保昌山には、応挙の『蘇武(ソブ)牧羊図』などの下絵を豪華な刺繍で仕上げた前懸・胴懸がある。

 

・・・まとめると、

 円山応挙は、江戸期の画家で京都府①亀岡市出身で、京都に出て絵を学び、②写生に基づく制作姿勢を確立した。明快で解り易い「②写生画」は、庶民から宮廷まで広く親しまれた。多くの門弟を集めた応挙の一門は③円山派と呼ばれる。与謝蕪村の弟子で、応挙にも師事した呉春(松村月渓)は、④四条派の開祖となった。円山・四条派の流れが京都の近代日本画の源流となっている。祇園祭の⑤保昌山には

応挙の下絵を刺繍した前懸・胴懸がある。