…誕生したのが【40】大映撮影所である。

 

昭和16年、

内閣情報局が映画業界を統制する権限を与えられた。

 

複数の映画製作会社を吸収合併して

松竹系と東宝系の2系列に編成する調整が行われたが、

新興キネマの永田雅一社長が2系列に

吸収されない社が必要と政府に働きかけ、

 

第3系列が編成される事となり、

新興を中心に大都・日活の製作部門が合併し、

小説家の菊池寛が社長となって

大映(大日本映画製作株式会社)が誕生した。

 

この様ないきさつで、

京都の太秦に大映撮影所が出来た。