それは「斎王代」である。

 

 

平安期、主に皇室の内親王が斎王となって

斎院に奉仕する制度が維持されており、

賀茂祭では斎王を中心とした女人列を構成し、

「路頭の儀」本列に途中から合流した。

 

 

その後、鎌倉初期に

斎院が廃止され斎王列は姿を消していた。

 

戦後・昭和28年に葵祭が復興し、

同31年かつての斎王に代る斎王代を

京都在住の未婚女性から選ぶ事によって、

久しく途絶えていた斎王列を

「斎王代列」として復活させ、現在に至っている。