平氏に追われ奈良・興福寺へ向かう途中に落命した後白河天皇・皇子は誰か?

 

 

後白河天皇第3皇子「以仁王(モチヒトオウ)」は、

八条院の猶子となり高倉天皇に次ぐ皇位継承者であったが、

治承3年の平清盛のクーデターで後白河が幽閉されると、

翌年には高倉の子・安徳が皇位に就き、

その望みを絶たれた。

 

 

 

平氏討伐の令旨を発し、

源頼政と共に挙兵するも露見し、

園城寺(三井寺)に逃れ、

更に南都を頼って落ち延びる途中、

宇治川の「橋合戦」で敗れる。

 

頼政は以仁王を逃した後、

扇の芝で自刃、

王は光明山の鳥居前で流れ矢に当り30歳で戦死。