大広間と黒書院を繋ぐ板敷の大廊下は何と呼ばれるか?

 

 

 

 

二条城は徳川幕府が築いた京都での拠点、

将軍としての政治の場であり宿所でもあった為、

二の丸御殿(国宝)は公私双方の機能を有する。

 

大広間までは諸大名との謁見のどの公の場。

又、黒書院から奥は将軍の内向きつまり私の場。

 

蘇鉄の間」(板敷の大廊下)は、

それらを繋ぐ役目を持ち、

部屋ではなく今で云うロビーである。

 

障壁画のモチーフが蘇鉄であった事からその名が付けられた。

 

因みに黒書院までは譜代の大名や旗本など

気心の知れた家臣も立ち入れたが、

白書院は将軍の寝所等があり私的な空間であった。