「ちぎりをく 花とならびの

 丘のへに あはれいくよの 春をすぐさむ」

「ならびの丘」と云うと双ヶ丘(ナラビガオカ)。

 

仁和寺の南に小高い3つの丘が一直線に並んでいる。

 

北側の最も高い一の丘で海抜116m、

古くから天皇の遊猟地とされ、

宮廷人もしばしば訪れて歌を詠んだ。

 

 

 

今は国名勝となっている。

吉田神社の社務職・卜部家に生まれた

吉田兼好(兼好法師)は歌人として知られ、

当代四天王の一人に数えられた。

 

この丘の麓に庵を結び、

ここで随筆文学の白眉『徒然草』を執筆したとされる。

 

上述の和歌は兼好法師の自撰歌集に

「ならびの岡に無常所を設けて、傍らに桜をうえさすとて」

との詞書を添えて収録されている。

 

「無常所」とは墓所の事で、

死後はこの地に骨を埋め、

桜と共に過ごしたいと云う

隠遁者の思いが込められた歌となっている。

 

 

丘の東麓に「兼好法師旧跡」と

記した標石を持つ長泉寺があり、

元禄期の建立で、

その境内に自然石を置いた兼好の墓が在り、

桜の一木が寄り添っている。

 

兼好の願いが後世に叶えられたが、

没年もその地も不詳なだけに

兼好の遺骨がある訳ではない。

 

傍らの歌碑は、

明治26年に篤志家によって立てられた。

 

同寺では毎年4/7に兼好忌が催される。