と描かれ、

都落ちの際に火を掛けられ灰燼(カイジン)に帰し、

京中に営まれた平清盛の屋敷を何と云うか?

 

 

若一神社

 

左京・八条一坊の八条以北・大宮以西にあった

平清盛全盛期の邸宅跡を総称して「西八条第(邸)」と呼び、

方6町とも云われるが町毎に殿舎が造営されていた。

 

中心建物は十一町にあったが、

清盛が摂津国・福原別荘に移った後は、

清盛の正妻・時子(二位尼)が女主となった。

 

十二町には時子が仏堂(光明心院)を供養し、

十三町には清盛の娘・白河殿平盛子

(摂政藤原基実の妻)の邸宅があった。