日本初の仮名文の日記『土佐日記』

の作者でもある『古今和歌集』の撰者の一人は誰か?

 

平安前期の貴族・紀貫之は、

国司を歴任した政治家であり、文人・歌人として著名。

 

延喜5年完成の『古今和歌集』の編纂に主導的な役割を果たし、

執筆したその序文「仮名序」は、

仮名書きで和文の神髄を端的に表した画期的な名文として周知。

 

土佐守の任期を終えた承平4年の帰京の旅の様子を

日記風に記した『土佐日記』は、

仮名で書かれた文学の代表作として名高い。

 

古今集「仮名序」

原文

現代語・訳

やまと歌は、

人の心を種として、よろづの

言の葉とぞなれりける。

 

世の中にある人、

事業(ことわざ)、

繁きものなれば、

心に思ふことを、

見るもの聞くものにつけて、

言ひ出せるなり。

 

花に鳴く鶯、

水にすむ蛙の声を聞けば、

生きとし生けるもの、

いづれか歌を詠まざりける。

 

力をも入れずして

天地を動かし、

目に見えぬ鬼神をも

あはれと思はせ、

男女の仲をも和らげ、

猛き武士の心をも慰むるは、

歌なり。

 

この歌、

天地の開け始まり

ける時より出で来にけり。

 

しかあれども 、

世に伝はることは、

ひさかたの

天にしては下照姫に始まり、

あらかねの地にしては

素盞嗚尊よりぞ起こりける。

 

ちはやぶる神世には、

歌の文字も定まらず、

素直にして、

事の心分きがたかりけらし。

 

人の世となりて、

素盞嗚尊よりぞ、

三十文字あまり

一文字は詠みける。

 

かくてぞ花をめで、

鳥をうらやみ、

霞をあはれび、

露を悲しぶ心・言葉多く、

さまざまになりにける。

 

遠き所も、

出で立つ足下より

始まりて年月を渡り、

高き山も、

麓の塵泥よりなりて

天雲棚引くまで

生ひ上れるごとくに、

この歌もかくのごとくなるべし。

和歌は、

人の心をもとにして、

いろいろな言葉になった

(ものである)。

 

世の中に行きている人は、

関わり合う

色々な事がたくさんあるので、心に思うことを、

見るもの聞くものに託して、

言葉に表わしているのである。

 

(梅の)花で鳴く鶯、

水にすむ河鹿の声を聞くと、

この世に生を受けている

もの全て、

どれが歌を

詠まないことがあろうか

(、みな詠むのである)。

 

力を入れないで

天地(の神々)を感動させ、

目に見えない鬼神をも

しみじみとした思いにさせ、

男女の仲を親しくさせ、

勇猛な武士の心を

和らげるのは、

歌なのである。

 

この歌は、

天地の開け始まった

時より生まれた。

 

しかしながら、

世に伝わることは、

天上においては

下照姫(の歌)に始まり、

地上にあっては

素盞嗚尊より

起こったのである。

 

神世には、

歌の音の数も決まらず、

飾り気がなく

ありのままに歌ったので、

言っていることの

内容が判断しにくかったらしい。

 

人の世になって、

素盞嗚尊から、

三十一文字(の歌)は

詠むようになった。

 

このようにして花を賞美し、

鳥をうらやましく思い、

霞にしみじみと感動し、

露を愛する心・言葉は多く、

(歌も)さまざまになった。

 

遠い所(への旅)も、

出発する足もとから

始まって長い年月を過ごし、

高い山も、

麓の塵や泥から生じて

雲のたなびく(高さ)まで

成長しているように、

この歌もこのようになる

(=発達する)のだろう。