宇治川東岸の放生(ホウジョウ)院である。

 

山号は雨宝山。

 

正称は放生院常光寺、通称・橋寺と呼ばれる。

 

聖徳太子の命で秦河勝が推古12年に創建したと伝わる。

 

42年後の大化2年に宇治橋が

奈良の僧・道登(一説に道昭)によって架けられて以降、

宇治橋の守り寺となった。

 

架橋の経緯は境内の「宇治橋断碑」により明らか。

 

断碑とは、

切れ切れになった石碑の意で、

長く地中に埋没していた

石碑の上3分の1が寛政3年に発見され、

その後、「帝王編年記」に記された碑文

の全文に基づいて残る3分の2も復元された。

 

日本3古碑の一つとされる。