『宇治拾遺物語』の
記載によると当初何と云ったか?
錦小路通は新京極から壬生川までの東西の小路で、
平安京の錦小路にほぼ該当する。
四条通の南の綾小路と
「綾・錦」と対称する名だったと思われる。
現在、
寺町から高倉までの390mの部分に
鮮魚を始めとする小売商店が並んで錦市場を形成し、
市民に「にしき」と呼ばれ親しまれている。
かつては具足を商う商人が多く
「具足小路」と呼ばれた時期もある。
具足小路が錦小路と改称されたのは、
天喜2年の後冷泉天皇の宣旨による
と云う説が三善為康の
『掌中歴(ショウチュウレキ)』に述べられている。