ハイドン:弦楽四重奏曲Op.74『第2アポニー』 | angsyally1112のブログ

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ハイドン:弦楽四重奏曲集 Op.74《アポニー四重奏曲集》
 弦楽四重奏曲 第72番 ハ長調 Op.74-1
 弦楽四重奏曲 第73番 ヘ長調 Op.74-2
 弦楽四重奏曲 第74番 ト短調 Op.74-3《騎士》
エンデリオン四重奏団
(1989年録音)

Op.74『第2アポニー』てどんな曲集だったっけ?第3番の『騎士』だけさわりを憶えている位・・・
今回は、何となくこのエンデリオン四重奏団の盤から聴き始めました。
第1番ハ長調の第2楽章に来た時、思い出しました。そして、第3楽章の切ないトリオ・・・そうだ、このハイドンとは思えないロマンチックな曲集だった。
そこで、このトリオだけ片っ端から色んな演奏を聴き比べました。
そして、かつてこの曲を初めて聴いたエンジェルス四重奏団とこのエンデリオン四重奏団だけ突出してスローテンポなのを知りました。
他の演奏とは全くイメージが違います。
このエンデリオン四重奏団の演奏は、特にスローで繊細・・ロマンチックの極致です。
ここだけで、今回は、このエンデリオン四重奏団をこの曲集のリファレンスとして聴く事にしました。幸い、オークションにこのCDが出品されていましたので、即入札、落札しました。

第1番は、明るさ、快活という次元を超えて、神々しい迄の美しさです。
より美しくより楽しいその豊かなイマジネーションは、全身に快感となって伝わって来ます。正に弦楽四重奏曲を聴く喜びここに際まれりという程に官能的でもあります。
正に『生命の樹』のような音楽です。燃え上がるエネルギーとみずみずしい若芽のような叙情性。
この演奏を聴いているとこの曲は、ハイドンの最高傑作ではないかと私には思えてくるのです。作為的な論理性は皆無で、隅々迄自発的な音で溢れています。音楽という生命体そのものです。名演奏が作り出す最高の創造空間です。

ハイドンは、ベートーヴェンの前座ではありません。
モーツァルトやシューベルト、メンデルスゾーン、シューマンといった後輩の単なる教科書ではありません。
バルトークやショスタコーヴィチといった世紀を越えた作品と同じように天高くそびえ立つ世界一広大な連山です。
第1番に限らず、兎に角、この曲集は3曲共に
次から次へと今まで聴いた事の無い新鮮なリアルなサウンドに、活きた生々しく輝きに満ちたハイドンを体験できます。
第2番の最終楽章のスリリングで、奇声を発しながらすっ飛ぶように疾駆する迫力は、只々唖然とするばかりです。

一番有名な第3番『騎手』だけが、特に個性的に聴こえないのは、元々この曲がベートーヴェン的で、多くの演奏家が激しく感情を剥き出しに演奏して来たからでしょう。
そこかしこに感じる孤独の影、第2楽章の『思考するAdagio』、シンプルな構成、振幅の激しい情感等ベートーヴェンが多くのサウンドと技法をこの曲に学んだものと思われます。
しかし、もっと個性的な第1番のような複雑な天高く生い茂る植物的な『生命体』のような表現方法は、余り模倣していないようです。

(あくまで、私の直感で、何の論理的根拠もありません。又ベートーヴェンが、その後期で得た『未確認生命体』的な音楽は、もっと宇宙的な生命の力を感じます。)


ハイドンの音楽に関する先入観は、
古典的な均整感=常駐するバランス感覚
情感のままに流されず決して一線を越えない
音楽は人生を豊かにする為にある
悲しみは癒されるという慈愛の緩徐楽章
・・・・・・
そうした先入観は、この1ヶ月程で吹っ飛んでしまいました。
怒り、嗚咽、苦悩、叫び、そして歓喜も・・・口に出せない、言葉にできない心の叫びを表現する為にハイドンの音楽は、そして特に弦楽四重奏曲は、自発的に作り続けられて来たのですね。


ヘッドホンは、BeyerdynamicT-1バランス接続です。
このCDは、他の音源に比べて音量(ゲイン)が小さいので、相当音量(ボリューム)を上げる必要があります。